上司のわがままを聞き、横暴をやりすごすだけの「上司対処法」はもう古い。社外の競争に勝つためには、社内政治における利害の一致ではなく、「本来の仕事」における目的や目標の一致こそが上司―部下関係の潤滑油となる。

無能でも偏執狂でもない上司と、無力でない部下の関係について、よい対処法を見つけるのが難しいのはなぜだろうか。たとえば、「フォーチュン」誌コラミストのスタンレー・ビンの近著、『Throwing the Elephant』では、職場はジャングル、上司は巨象に譬えられている。この巨象は、ついうっかりと、あるいは気まぐれで部下を踏みつぶしてしまう。部下の生存は、いかに巨象の好き嫌いを覚え、気を配り、彼に隷属するかにかかっている。

しかし、「無能な上司と何事も運命とあきらめて彼に従う自分たち」を戯画化して喜んでいる部下に進歩はない。ちゃかすことによって、上司を管理することの重要性を矮小化してしまうからだ。上司管理の究極の目的は、組織に(結果的に上司と部下の双方に)最良の結果をもたらすような上司との関係をつくりだすことにある。

ハーバード・ビジネス・スクールのジョン・P・コッター教授は「上司管理については、自己中心的で、自分の手法を押し通そうとするやり口が書かれすぎた」と書いている。「こうした手法は、ペースの遅い寡占的な社会では通用したかもしれない。社内政治(内圧9に明け暮れてもなお企業が勝ち抜くことができた時代の話だ。だが、今日、こうした手法は通用しない」。コッター教授が上下関係の明確化を重視するのは、働く人々に本来の仕事に前向きに取り組ませるためなのだ。

コッターの新著『The Heart of Change』は、「本来の仕事がきちんとできている企業」に焦点を当てている。彼によれば、「これらの会社には、策を弄するような管理手法は全く存在しない。むろん、部下は時に上司に緊張感を持たせ、彼がビジョンを創成し、それを伝えるのを助けている。だが、大切なのは『助ける』ことであり、策を弄して上司を操ることではない」。