この時、広島側には、2つの戦略があった。1つは、2016年におこなわれる日本でのサミットを「広島」で開催してもらうこと、もう1つは、たとえ広島開催でなくても、サミット終了後、オバマ氏に広島を訪問してもらう、というものだ。

しかし、ここでオバマ大統領の強い意思を広島側は知ることになる。

「私は自分の意思で広島に行く。サミットという場が広島になることは望まない」

これは、日本側にとって大きな驚きだった。サミットの開催都市として、いわば“強制的に”広島を訪れるのではなく、自らの意思で広島に行く――それこそがオバマ氏の願望であることを知るのである。

伊勢志摩でサミットがおこなわれることが決まったのは、2015年6月のことだ。そこから、広島出身の岸田文雄外相や三山氏らの巻き返しが始まる。

エアフォース・ワンで岩国米軍基地に行き、そこからヘリコプターで広島ヘリポートに飛び、さらに車で平和記念公園へ。その移動が時間的に「可能であること」が、広島サイドから米側に伝えられるのである。そして、ついに快挙は実現する。

一般人でありながら、気の遠くなるような時間をかけて米兵の犠牲者を調べあげた森重昭さん。それを「オバマへの手紙」と共にホワイトハウスに持ち込んだ三山氏。広島の人々とマスコミが一体となって、米大統領の核廃絶への“思い”を被爆地・広島から発してもらうという悲願は、こうして達成されるのである。

その陰に、名もなき広島の人々の努力と、人間として最も大切な“赦(ゆる)しの心”があったことを、私は歴史に銘記しておきたいと思う。

※1:スピーチの冒頭は次の通り。「71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。閃光(せんこう)と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました」(毎日新聞より)。
※2:キャンペーンのウェブサイトは次の通り。「みんなで未来を創ろうプロジェクト ーオバマへの手紙ー 世界のリーダーを広島へ!」 http://www.htv.jp/pfp/obama/

(時事通信フォト=写真)
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