立場の違い超えて多様性を受け入れ
1997年6月、米国南部のダラスに設立した高純度薬品の製造会社テキサスウルトラピュアの副社長に、着任した。40代半ばで初の海外勤務。人間、全く知らない地で、異文化に囲まれて暮らしてみれば、様々な発見があり、視えてくる世界が変わる。長い間、「当然」としてきた価値観すら、変わることもある。ダラスでの2年10カ月は、そんな、予想もしなかった転機をもたらした。
高純度薬品は、半導体の基板となるウエハーを洗浄する液だ。アンモニアの生産工程で派生する硝酸や硫酸などを濃縮するが、それまでは入社以来過ごしてきた北九州市の黒崎工場で生産していた。だが、日本の半導体メーカーが続々と海外へ進出し、現地で生産、供給する体制に切り替える。
まず台湾に拠点をつくり、成功した。次いで米国となり、アンモニア畑ひと筋だった身に、工場立ち上げと営業への技術的な指導の役がやってきた。プラント建設は入社以来の夢で、用地探しから関わり、生産体制も順調に整った。
ところが、原材料や部品などの調達で、壁にぶつかる。日本ではすべてが要求基準を満たす「認定品」だから、問題はない。でも、米国では基準を満たさないものも混じる。原材料も含有物が基準以下でなくてはいけないのに、使うと、検査計の針が大きく振れることがある。どこに不具合があるのか、多くの工程を調べなければならず、たいへんな手間がかかる。
不良品を出さず、半導体メーカーの信頼を得るように、現地従業員向けの作業手順書は、丁寧につくった。「日本のものづくり」の粋を学んでもらうため、なぜその作業をする必要があるのか、理由も書いて添えた。ただ、台湾とは違って、簡単には進まない。