米国では、職務の範囲を明確にして雇用契約を結び、その職務に応じて報酬を支払う。だから、作業が職務範囲を越えていると思うと、やらない。いくら品質をよくしようと説き、出荷時期が迫っているからと頼んでも、動かない。経験を積むうちに、そういったストレートな説明や要求ではなく、もっと米国流の説き方でなければ応じてもらえない、と気づく。
そこで、雇用慣行や労働観の違いを受け入れよう、と考え直す。ちょうど製造課長に雇った米国人男性が、説明役に向いていた。彼と人事担当だった女性の2人に、資料をつくって、何が必要で、それが結果として全員にプラスになることを、教えた。収益のことばかりを説いたわけではない。何も隠さず、本心を率直に話した。
2人は立場の違いを超えて、こちらの言葉を受け止めてくれた。彼らの従業員たちへの説明を聞くと、やはり、米国には米国流の教え方があった。「なぜ、こうなるのか」といった戦略的な話から入り、合理性を説いていく。すると、物事が、順調に動き出す。
文化の違い、多様性とは、こういうことか、と痛感した。
いま、グループのトップとしてグローバル化の指揮を執るとき、この体験が原点になる。日本人社員で、世界で通用する人が多様に揃えば、うれしい。ただ、世界の拠点では、それぞれ文化が違うから、それぞれの国の人々が十分に揃うほうが重要だ、と思う。違いを知り、克服し、多様性を受け入れ、信頼して任せる。それには、本音同士で接しないといけない。
「推赤心置人腹中」(赤心を推して人の腹中に置く)――偽りのない心を吐露し、相手の心中にそのままに残すとの意味で、中国・宋時代の『後漢書』にある言葉だ。投降させた敵の大軍に分け入って接し、感激した兵士たちが自軍に加わって天下統一を支えてくれた後漢の光武帝の姿を描く。立場の違いを超えて人を信じ切ることの大切さを説き、2人の米国人幹部に本音を語り、代役を任せ切った越智流は、この教えと重なる。