助け舟を出したのは身内ではなく同級生だった
春子さんの夫の浩二さんは加藤家の長男である。妹が2人いるが、神奈川と栃木に嫁いでいて、とても義父を受け入れることができる状態ではない。老親が2人で暮らしている家には、浩二さん夫婦が最も近く、その家に戻る義父の世話をするのは、義母と春子さんという流れから逃れることはできそうになかった。長男の嫁という立場は、こうして、なし崩し的に介護を押し付けられることに文句も言えないのである。せめて、夫のサポートがもう少しあれば、どれほど助かったことか。長男だから親の介護を引き受ける、という潔さだけを発揮し、その後は、すべて妻の春子さんに任せてしまった浩二さんは、介護のスタート時点で大きな失敗を犯したのである。
義父の倒れた00年は、高齢者介護に関する社会の仕組みが大きく転換し、4月に介護保険制度がスタートした年でもある。8月に倒れた義父が自宅に戻ってきたのは9月の末だった。左半身に麻痺が残り、車椅子での生活を余儀なくされている状態で、いきなり在宅での暮らしがスムーズに始まるわけがない。
家の段差を解消し、トイレや浴室に手すりをつけて、介護用のベッドを購入し、ポータブルトイレやオムツの手配など、何もわからないまま、必要と思われることを手配することに春子さんは奔走した。毎日、朝早くから夫の実家に足を運び、義父が眠りにつくまで介護にかかりきり、あっという間に2カ月間が過ぎていった。春子さんの疲労はピークに達していた。
そんな春子さんを見かねて助け舟を出してくれたのは、身内ではなくすでに介護経験を積んでいる春子さんの同級生だった。このとき、はじめて春子さんは「介護保険制度」の存在を知ることになる。段差の解消や福祉用具の手配、日々の生活介助にいたるまで、制度を利用すればサポートを受けられたことを知って愕然としたそうだ。
義父の退院が決まったとき、家族が真剣に話し合っていれば、介護保険制度の存在に気がついたはずである。しかし、家族の誰もが逃げ腰であったために、その機会を失ってしまった。
介護に直接かかわることのない家族は、ときに残酷な言葉を平気で口にする。春子さんがいくら一生懸命介護に取り組んだところで、義理の妹たちはたまに顔を出して、義父がかわいそうだと言う。だからといって、誰も助けようとはしない。
介護を始める段階で、最も必要なことは家族全員で話し合うことだ。手を出すことができないのなら、口も出さないで、黙ってお金を払う、というくらいの話し合いをしなければ、介護にかかわる当事者は浮かばれない。
介護にかかる費用はバカにならない。介護保険の要介護度5と判定された場合、利用できるサービスの給付限度額は、1カ月35万8300円。限度額をフルに使うと自己負担額は1割の3万5830円となる。実際の利用状況を見ると、多くの人が限度額の6割程度に利用を抑えているのが実情で、自己負担額は1カ月約2万1500円程度である。これに、オムツや食事代、医療費、福祉用具貸与などの諸経費を加えていくと、安く見積もっても月に6万円から7万円が必要になる。年間に換算すると約70万円から80万円となり、要介護状態が5年間継続した場合、総額350万円から400万円の介護費用を念頭に置く必要がある。さらに、遠距離介護の場合は交通費や通信費などがかさみ、例えば東京・福岡間で月に2度通った場合、700万円ほど余分に必要になる。また、有料老人ホームなどの入所を選択すれば、かかる費用の桁がひとつ違ってもおかしくはない。親の年金だけではとてもまかなえないのが介護費用である。親族が顔をつき合わせてお金の話をするのは避けたいところだが、最も重要な検討項目といえる。