斎藤が心配した常磐興産の三重苦
過去の慣例を破り、外部からトップを呼び寄せたのは、前社長の斎藤のほぼ独断である。祖父と父が炭鉱で働き、自らも常磐興産で勤め上げた、常磐興産を知り尽くす斎藤が、あえて社長を外から連れてきたのはなぜか。その背景には、常磐興産が抱える「三重苦」がある。
一つは巨額の負債。震災復興のために100億円を新たに調達したことで、常磐興産には約300億円もの負債がある。同社はハワイアンズの観光事業のほか、製造関連事業や運輸業、卸売業を抱えているが、連結による当時の売上高467億円、営業利益16.4億円(12年度)という同社の業績から考えると、厳しい財務状況である。
もう一つは、資金不足からテーマパークに必須の大規模な設備投資ができないことだ。復興の話題が落ち着いてからのハワイアンズは、ユーザーの目を引く話題を打ち出せていない。客のリピート率が9割を超えるハワイアンズも、集客上の目玉がつくれない状態が続けば、やがてリピーターに飽きられ、新たな顧客層も獲得できない。
3つ目は、時代の変化への対応である。被災の窮地は脱したものの、少子化による客の減少、若者の旅行離れ、団体客の大幅減少など、市場の変化に対応した新しい組織づくりやサービス開発に着手できていない。
斎藤はこの三重苦を誰よりも心配し、震災前の状態に復帰するだけでは、いずれ立ち行かなくなることを予測していた。
「一山一家は、危機のときには強い。しかし平穏なときは、仲良しグループになってしまう。社員の多くが子どものときから一緒に育ち、親の顔も知っているような環境では、中から変えることは難しい」(斎藤)
復興のための資金繰りで銀行詣でを続けるなか、斎藤は社内の誰にも相談することなく、メーンバンクであるみずほ銀行の関係者に後継者の相談を持ちかける。そこで紹介されたのが、当時みずほ情報総研社長だった井上だ。井上は、引き受ける覚悟があることをすでに表明していた。
「経歴を見れば頭取になってもおかしくなかった人が、わが社の窮状をよく知ったうえで、福島の復興に貢献したいと言ってくれていると聞き、崇高な理念に心打たれました」(斎藤)