漱石作品は悩めるビジネスマンに読んでほしい

――その時代は、漱石よりも司馬遼太郎が読まれていた気がします。日本全体が、彼のいう“坂の上の雲”をめざして進んでいたからです。

司馬作品は漱石とは違います。世間が勢いづいているときはピタッとはまりますが、いまのように、みんなが成長を続けることに疲れた時代には漱石に戻るのではないでしょうか……。街中を多くのビジネスマンが歩いていますが、誰しもが心中に仕事や人間関係での悩みを抱えている気がします。だからこそ、漱石作品は悩めるビジネスマンに読んでほしい。

――確かに現在の日本は、いろいろな意味で岐路に立っているのかもしれません。それだけに『三四郎』のなかで、東京帝大に受かった三四郎が、上京する車中で出会った教師が発した言葉は強烈です。日露戦争に勝利して、日本も一等国になったと自惚れる姿に「亡びるね」と言い放ちます。

この言葉は、太平洋戦争で日本が被占領国になったというような亡国の事実を差しているのではないでしょう。おそらく、これまでの繁栄や幸せを求めていく生き方にピリオドが打たれるということです。つまり、常に前向きで上昇気流に乗ろう、そして、過去のことは忘却の淵に忘れてしまえばいいといった方法が通用しなくなる。数年前に『超訳ニーチェの言葉』があれだけ読まれたのは、世の中の価値観が変わりつつあるからにほかなりません。ニーチェの思想は基本的に価値の転換です。

歴史的に見て、それ以前に日本人の価値観が劇的に変化したのは明治維新です。偶然ですが、漱石は元号が明治に変わる慶応3年(1867)に生まれています。まさに、変革期に生を受けたわけです。それまでの江戸時代は、長く安定していました。そこに欧米列強の圧力で開国を迫られるというトラウマを受けてしまった。それが、明治政府の富国強兵や戦後の経済至上主義につながった気がしてなりません。しかし150年が経って、それも終わろうとしています。

漱石も留学先のイギリスでトラウマを得ています。当時のロンドンは世界一の都市でしたが、下宿に引きこもったという彼の目に映った光景は憂鬱なものでした。けれども、それから逃げずに向かい合った結果、神経衰弱になってしまう。しかし、心を病んだがゆえに、その感性は恐ろしいまでに研ぎ澄まされました。私が漱石に惹かれるのは、そんな視点で現実を見つめ、そこで苦悩する人たちを描いているからです。