稼ぎ頭の役員から、子会社へ降格
90年、27歳のとき、人生の転機が訪れる。社員20人ほどの建設会社・中岡組(のちに、ジョー・コーポレーションに社名変更)に入社する。中学の同級生から誘われた。経営多角化の一環として、贈答品や生菓子などを製造・販売する店をオープンすることになっていた。その店長に抜擢された。
「ありがたかったですね。まったくの未経験でありながら、誘っていただいたのですから……。1年目で、店の売り上げが1億円をこえましたが、月給が15万円ほどで生活は苦しかったです。それでも、仕事は楽しくて、充実した毎日でした」
2年目の92年、結婚した。仕事に一層、力を入れようとするとき、不動産事業部への異動を命じられた。しかも、役員として迎え入れられた。社長らは、活躍する松岡さんを褒め、称えた。会社はこの頃、社員が50人近くになっていた。不動産事業部は、5人ほど。
最終学歴・中卒の松岡さんは、「学歴の壁」にぶつかる。宅地建物取引士(宅建)の資格をとろうとするが、受験資格がない。当時は「高卒以上の学歴」もしくは、「実務経験2年以上」となっていた。
「学歴というものを考えた、はじめての経験です」
実務経験を積みながら、2年後、ようやく受験資格をとり、1度の試験で合格した。31歳のときだった。
「合格を果たしたとき、この仕事で食べていく! と決めました。宅建士証は、はじめて手にした、社会から認められる証です」
96年、34歳で分譲マンション事業の担当役員となった。
「責任は感じていました。お客さんや社員たちの期待に応え、幸福にしないといけない。そんな使命感を持っていました」
会社は、業績を拡大した。特に、分譲マンションの売れ行きが好調だった。全社売り上げの6割ほどになっていた。06年のピーク時には、グループの年商が370億円をこえ、社員は約700人になる。総務部長などは、社員たちがいる前で誉めた。
「松岡さんを見てみろ! 中卒だけど、がんばっている」
いつしか、中卒というハンディを乗り越えていた。43歳で常務執行役に就任し、分譲マンションの販売業績を一段と伸ばす。