都心部はさらに先のステージへ
そんな東京23区の中でも、港区の所得水準は突出して高い。先に紹介したように2012年は904万円。リーマンショック前の2008年には1127万円にのぼっていた。詳しくは、拙著『23区格差』をご覧いただきたいが、結論だけをいうと、地価も家賃も生活コストも高い港区で、これを支払うことができる高額所得者が増加を続けたという「富の集中」がもたらした結果である。
そして、港区に流入してきた高額所得者たちを突き動かした最大の動機は、経済的な価値より以上に、「都心ライフ」を楽しむという生活価値の再発見にあった。おそらくこの動きは、モレッティ論よりさらに先のステージにあるのではないだろうか。「富の郊外化」と、これと対をなす、「インナーシティのスラム化」のふたつが揃うほうが、むしろグローバルスタンダードだからだ。
その意味で、港区をはじめとした東京都心部や、さらには大阪市など他の大都市でも普遍化し始めている「人口の都心回帰」の動きは、日本独自の傾向といって、おそらく間違いはないだろう。
住むところで年収は決まっても満足度は決まらない
港区に「富の集中」をもたらした高額所得者たちの主要な移住の動機となった「都心ライフ」とは、通勤から解放された時間を都心に備わる様々な機能や環境の満喫に消費すること。あるいは、「都心での仕事=オン」と「郊外での居住=オフ」を切り分けてしまうのではなく、仕事での仲間であろうと、職場を離れたもうひとつの関係で結びつく、オンとオフのなだらかな連続にある。
そういったら、ある人から「それは地方都市の生活そのものだ」と反論された。“年収は住むところで決まる”からと東京に移住し、無理して都心に住んでも、得られるものはかつての地方都市での生活と同じ価値に終わってしまうかもしれない。
“年収は住むところで決まる”のは、ある意味では事実かも知れない。しかし、仕事ではなく、生活をする場であることを考えると、またその評価軸は変わる。つまり“生活の満足度は住むところで決まらない”ということだ。生活への満足度は同じ町に住めば誰でも一定なのではなく、住む人それぞれの考えや価値観が問われる。
こうした事実に、『年収は「住むところ」で決まる』はマクロな都市経済学の視点から切りこんでいる。拙著『23区格差』は、ミクロな視点から東京生活を概観した。両者の読み比べの中から、読者ならではの“住むところ”を選んでほしい。