「政治家には向いていない」と断った

【塩田】その後、なぜ経営者を辞めて参院選に出馬したのですか。

【松田】320店舗まで拡大しました。私は創業者ですが、ずっと20%程度しか株を持っていなかった。今考えれば甘かったのですが、役員9人のうち、5人いた社外役員が結託して、ファンドと合わせて40%以上を握り、高く売り抜けようとしたんです。私は利益優先のファンドの手に渡ってしまうことだけは避けたいと考え、前々からお付き合いのあった伊藤園と交渉し、安定株主になってもらうことを決めました。

その後は、シンガポールで日本食レストランをやろうと計画し、日本との間を行ったり来たりする生活を送っていました。そんな中、2007年に私はヤング・グローバル・リーダーに選ばれてダボス会議に参加しました。そこで当時、民主党の参議院議員だった浅尾慶一郎さん(のちにみんなの党代表)と知り合って意気投合したのです。

それからしばらく経った2010年、久々に浅尾さんから連絡がありました。それが参院選の話だったんです。

【塩田】10年参院選に定数5の東京選挙区で5番目の議席を共産党と争って勝ちました。

【松田】当時のみんなの党の渡辺喜美代表(元行政改革担当相)などから「絶対に松田君みたいな人材が必要だ」と言われました。私は最初、「政治はまったく知りません。政治家には向いていませんよ」とお断りしたんですが、何回も話をして、みんなの党は政策的に自分の考えにぴったりだと感じるようになりました。それで「門外漢として入ります。国会議員も今までにない発想で、1期だけでいいです。1期を目標と決めてやらせてください」と伝えたのです。

【塩田】1期6年で、と思ったとき、議員の後は何をやるつもりだったのですか。

【松田】またビジネスに戻ろうと思っていました。参院選の出馬を決めたのは、ハワイのパンケーキの人気店「Eggs'n Things」の権利を取得して、10年3月に原宿でお店をオープンした直後。すごいブームになっていて、私もアロハシャツにジーンズでパンケーキをつくっていました。日本には朝食を外で食べるという文化がなかったので、新しい朝食文化を広げたいと思ってやっていたところに、浅尾さんが来たんです。選挙にチャレンジするに当たって、Eggs'n Thingsはタリーズコーヒー時代の部下に社長を頼みました。

政治家になって、脱原発が言われる中で、私は再生可能エネルギーを唱え続けていますが、みんなやってくれないので、自分で小さなバイオマスの会社をつくりました。赤字が3年くらい続くのを見越して、人知れず、今、取り組んでいます。黒字になったら、みんなやり始めると思います。その道をつくりたいとも思っています。

【塩田】参議院議員の改選は来年夏です。再選を目指す決意ですか。

【松田】もちろん。党の代表ですから。ただ、選挙区をどうするかは、いろいろな可能性があると思っています。私のように、これまで政治とまったく違う世界にいた新人を今、リクルートしていまして、何人か出てくれそうな状況です。そういう人たちの選挙区をどうするかという問題もありますので、まだ全然、決まっていません。