家政婦が当面、機械に取って代わられない理由

その影響とは何かというと、技術的失業である。技術的失業とは英国の経済学者ケインズが唱えた概念で、技術の進歩により人間が失業することをいう。具体的には約250年前から始まった産業革命、1980年代に工場にロボットが広範に導入されたオートメーションの時代、それに人工知能の発達により知的労働が脅かされつつある現代である。

産業革命の時代には、機械に職を脅かされた労働者たちが、機械打ち壊し運動(ラダイト運動)を行ったが、さほど広がらなかった。機械の導入で生産性が向上し、社会がより豊かになり、新しい職が生まれたからだ。

オートメーション革命は現代まで続いている。工場で肉体労働をする労働者の数は減ったが、その分、オフィスにおける知的な労働が増えて、労働者はそこに吸収された。実際、現在の労働者といえば、農業、漁業などの肉体労働、工場における肉体労働はむしろ少数で、多くの労働者はオフィスで働く知的労働者である。

現在進行している人工知能革命は、そのオフィス労働者の地位を危うくする。また人工知能を搭載したロボットの発達は、肉体労働者の職域をさらに奪っていく。もちろん、人工知能とロボットの発達は、生産性を上げて社会をより豊かにするし、新たな職業も生まれるであろう。問題はその変化があまりに急速であるので、労働者がそれについていけないことである。今まで事務所で帳面付けをやっていた中高年の労働者が、人工知能にその仕事を奪われて失業し、明日からプログラマーになれといわれても、到底無理だろう。

ここでの議論は、人工知能とロボットがまだ人間並みには達しない、前特異点以前の時代に話を絞る。これから10~15年先の話である。そのときに人工知能やロボットにできる仕事とできない仕事とは何だろうか。できる仕事は単純な繰り返し作業、定型的な仕事である。

できない仕事とは何か。ロボットの例がわかりやすい。ロボットがやりやすい仕事とは、繰り返しの多い単純な作業である。逆に単純でない仕事はロボットには難しい。たとえば家の掃除を例にあげる。ルンバのような人工知能を備えた掃除機がある。しかしルンバは平坦な床を掃除するだけで、階段を上ったり、狭い隙間を掃除したり、いわんや机の上は掃除できない。そのように家の掃除というのは、実はかなり高度な作業なのである。だから家政婦のような職業は、当面、機械に取って代わられることはない。

実は、ロボットがその仕事をできたとしても、企業家の立場からすれば、機械と人間のどちらが安いかによって、人間を雇うかロボットを導入するかを決定する。ロボットの値段が高いうちは、人間の肉体労働はなくならない。しかし人間の労働に対する対価、つまり給料を低下させる要因となる。人間のほうが安ければ、企業家は人間を雇うのである。