孫正義は、なぜ日本を代表する経営者となりえたのか。どうして失敗を重ねながらも、最後には成功をつかみとることができるのか。その答えの鍵は「人たらし」にある! 超一流ともいえる名ゼリフの数々を、関係者が証言する。

その日、グレーのスーツにピンクのネクタイを締めた孫正義は、終始笑顔でシャープ元副社長の佐々木正をもてなしていた。2014年4月28日、東京・赤坂の東洋軒で開かれた佐々木の百寿を祝う集いでのことである。招待された佐々木も同伴した夫人とともに、周囲の参加者たちとの歓談に興じた。


(上)2014年4月28日、佐々木の百寿を祝う集いが東京・赤坂で開かれた。写真は佐々木夫妻と。(下)ソフトバンクは特製の記念ボックスを贈呈。グループ社員中心に100枚の祝辞カードを封入。孫正義社長のそれは、手書きで思いが込められている。

この慶事を開くに当たって、孫はこう言ったという。これだけはほかの人に任せるわけにはいかない――と。孫にとって、この大恩人への感謝の集いは、何にもまして重要なことであったからだ。

当日の出席者は、セブン&アイ・ホールディングスの創業者である伊藤雅俊ら数人の来賓とソフトバンク幹部、合わせて20人ばかり。なごやかに進行してきた宴もたけなわを迎え、幕引きに孫が挨拶に立つ。そして、「すべては佐々木先生との出会いから始まりました。本当にありがとうございます。次は先生の130歳をお祝いしたい」と、最後は声を詰まらせて語りかけたのだ。

ある出席者は、そのとき孫の涙を見たという。だが、佐々木の見方は違った。「僕にはあれが、孫さんの“気魄”そのものに見えたんです。人の内側から発するエネルギーは目に出る。もう30数年も前のことですが、あのときもそうでした。いまでも鮮明に覚えています」。

佐々木が「あのとき」と振り返るのは1977年夏の出来事である。孫がカリフォルニア大学バークレー校在学中に共同開発した「音声機能付き電子翻訳機」のサンプルを携え、奈良県天理市にあるシャープ中央研究所を訪ねてきたのだ。

「まだ少年の面影を残した彼が、アイデアを買ってほしいと売り込みにきたんです。説明の最中も、目の輝きが異様に鋭い。『これはただものではない』と感じました。私は英語版翻訳機の研究開発費として2000万円出すことを即決しました。国連の公用語は8カ国語ある(当時)ので、英語版が完成したら他国語版も手がけなさい。合計1億6000万円の可能性があるとアドバイスしたのです」