「敗北体験」もまた必要
何でも陰と陽があり、陰があるから陽が際立つ。小学校から秀才で1度も挫折したことのない人は、本物の自信を持ち得るか。人を見下すエリート意識は身につくが、困難に立ち向かう粘りや、迫力のもととなる自信は身についていないのではないか。ずっと1番でスイスイきた人、この人はこれだけでは優れた人になれない。
屈辱、敗北、失敗、劣等感、心の傷、こうした“敗北の体験”が自信を本物にする条件である。傷がないのがいいのは、犬くらいだろう(殴られた犬はいじける。闘犬のように競争心を強くする場合、絶対に殴らないで育てる。すると窮地に立っても逃げることを知らない犬になるという)。
人は逆である。悔しい思い、辛い思い、恥ずかしい思い、これらを超えた失意や絶望を味わったことのない人は薄っぺらである。人を理解できない、尊大、傲慢、エゴイズム、冷酷、人を愛せない……この人にはいくら理解力、記憶力、表現力があっても人はついてこない。人は支持してくれない。
1人で成し得る仕事はたかが知れている。このままいけば、30代、40代の働き盛りのときに、秀才というかつての自信は干からびる。そうなる前に秀才は1度深く傷つき汚れて目覚めねばならない。これを、ある人は、“逆境作人”と言い、ある人は“病気、貧乏、刑務所の体験が成功の条件”と言っている。
不安、苦しみ、自信喪失、この絶望の淵を歩いた人、そして「もうだめだと思った」「死んだほうがましだと思った」、この土壇場から回帰した人が、張り子の自信をたたきつぶして、本物の鋼鉄の自信を作ることができる。
※本連載は書籍『ザ・鬼上司! 【ストーリーで読む】上司が「鬼」とならねば部下は動かず』(染谷和巳 著)からの抜粋です。