都知事選の敗北からも気づかされた

人が言うことや世の中の常識とされることを「本当だろうか」と疑い、自分で調べてみるのは、コンサルタント時代からの習い性のようなものだ。今はネットで簡単に情報が得られるが、昔は苦労して調べ、よく人に話を聞きにいっていた。

「日本はいつからこんなに国債を発行して“将来からカネを借りてくる”ようになったのか」。それを知りたくて、当時の大蔵省で最初に計画課長をやった人に話を聞きにいったことがある。今はネットで情報が集まるが、当時は人づてで情報を取るしかなかった。

もともと各省の予算配分をコーディネートして歳入と歳出のバランスを取るのが、大蔵省主計局の仕事だった。それが一変したのは田中角栄元首相が大蔵大臣になった62年。その大蔵官僚曰く、「その日を境に空の色が一変した」。

「入ってくるカネを使っているだけでは日本は成長できない。これからは、とにかく使うことを先に考えろ」。田中大臣がそう言ってから、赤字なら将来から借りてきても成長を優先する“新しい方程式”が出現したのだ。

田中角栄氏については、いろいろな人に会って話を聞いたが、やはり大したリーダーだったと思う。将来から借金をしてでも国にインフラをつくらせて、あとは民間に儲けさせる。「繁栄して歳入が増えれば返せるんだから、将来から借りて使えばいい」という発想は、成長期の日本においては見事な問題解決法だった。

国の借金が膨らんだのは、成長期が終わったにもかかわらず新しい国家運営のモデルを打ち立てることなく、田中角栄的な手法を引きずった後の政治家と役人の問題であって、田中氏のせいではない。

95年の都知事選に出たときにも面白い経験をした。「もしかしたらコイツ(大前)が都知事になるかもしれない」と思ったのか、都庁の関係者が擦り寄ってきて我先にと内部情報が寄せられたのだ。

当時はファクスでいろいろな資料が送られてきて、東京都のクサい話が一気に私のもとに集まったことをよく覚えている。都知事選の敗北は私にとっては苦い経験だったが、新しい情報源を得て、それまで考えてもみなかったことに気づかされることも多かった。