死に限らない、「受容の5段階」

さながらエリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容」でいう第2段階、怒りです。

ちなみに死の受容は、否認(そんなはずはない、と考える)、怒り(なぜ自分が死ぬのかと怒り、周囲を攻撃したりする)、取引(神を疑ったり否定したり、「もし治れば神を信じよう」と条件をつけてみたりする)、鬱(あきらめて落ち込む)、受容の5段階をたどると、キューブラー・ロスは指摘しています。

さらにいうと、この5段階は死の受容に限ったものではありません。恋人との別れ、引っ越し、あるいは飼っていた小鳥に逃げられた、といった、死ほどではない喪失体験でも、人の感情は同じ経緯をたどると、キュブラー・ロスはいいます。(「「死ぬ瞬間」と死後の生」中公文庫)

キャシーの話に戻りましょう。家族にすると、なぜ彼女がおかしくなってしまったのか、わけが分からない。

彼女も、だれかと話したい、とは思ったのでしょう。患者会にでかけます。会場にいたのは、「がんは贈り物です」と自らの運命を前向きに受け入れている、先ゆく仲間たちでした。はあ、なにキレイゴトいってるの? キャシーはそこでも自らの胸の内を開くことができません。

と、これを書いている今日(2015年4月)現在、日本で放映済みの第3話までのあらすじは、こんなところです。

家族にまで言えない人なんて、いるのか、と思う方もいるでしょう。でも実際には、そう珍しいことではありません。告知が一般的になった昨今では、夫婦の間で秘密にする人は減っているでしょうが、子どもには話していない、たとえ成人した子どもであっても、という人はいます。あるいは年老いた親には、心配させたくないから、と。

がんの、ましてステージ4の宣告とは、伝えられた本人への打撃もさることながら、家族への負担は想像を超えるものがあります。だから、言えない。本来ならもっとも近くにいて、支えてもらうべき関係にある人々に、逆に沈黙をつらぬいてしまう。

キャシーの場合も、突破口は、意外なところにありました。患者会の次に告白したのは、近所の、気むずかしいおばあさんでした。おばあさんの飼い犬が、なぜかキャシーを四六時中つけまわす。おばあさんは言います。

「この犬は、がんで死んだ夫をつけまわしてた。あんたは、どこに腫瘍があるの?」