積極性と素直な心を持ち続けること

私の大学時代は、明けても暮れてもラグビー漬けの毎日でした。卒業後、旭硝子に入社して10年が過ぎた頃のことです。社費留学の機会を得て、アメリカのケース・ウェスタン・リザーブ大学経営大学院に行く機会を得たのです。

目標はMBA(経営学修士)の資格を取得することでしたが、勉強だけに集中する機会があまりなかったこともあり、目にするもの、耳にするものがことごとく新鮮に思えました。そこで、経営学に限らず何でも吸収してやろう、何でも飲み込んでやろうという気持ちで臨むことにしたのです。

同時期に企業から派遣された人はたくさんいました。銀行員や商社マンなど、すでに多くの経営の知識を備えている人がほとんどで、「既に学んだことだ」「ネットプレゼントバリューなんて、本当に役に立つのか」といった感じで、斜に構えている姿の人もいました。

『プロフェッショナルマネジャー・ノート2』ハロルド・シドニー・ジェニーン著・玉塚元一解説(プレジデント社刊)

私自身は必死になって、疑問点は質問し、機会があれば躊躇なく発言するうちに、自然とさまざまな情報がまわりから集まるようになり、教授陣からの信頼を勝ち取ることもできました。

限りない積極性と素直な心を持ち続けること……まわりを巻き込み、ともに前進するためには、これこそが必須の条件なのです。

私は幼い頃は積極性に欠けたところがあり、自分に自信が持てませんでした。なんとか心身を鍛えてひとかどの人物になりたい……誰でも願うことです。そこで中学時代からラグビーを始め、慶應義塾大学在学中には肉弾戦の最前線の一つであるフランカーとしてレギュラーメンバーになりました。幼い頃の課題はラグビーを通じて解消することができました。

大学卒業にあたり、海外勤務のできる企業に就職することを決めました。国内で経験を積むのも一つの道ですが、若いうちにまず外国に出て見聞を広めたいと思ったからです。社員数や新卒採用数、どのような人材が集まる企業かを調べるうちに、旭硝子なら海外勤務も可能だとの結論を得て、1985年に入社しました。そして、89年にシンガポールに駐在となり、東南アジアの国々を駆け回る生活を送りました。まず、目標を立て、目標から逆算して、それをクリアする方法を考える……これは58四半期連続増益の企業をつくったジェニーン氏が繰り返し実践してきた手法であり、ユニクロの柳井さんに叩き込まれた考え方ですが、思い起こせば生来、私はそうしてきたと感じます。

目標に向けてチャレンジするのは苦しいことですが、そこにこそ学びがあり、新しい出会いがあります。そこにリスクを感じても、オポチュニティコストと受け止め、チャレンジするほうを選ぶよう心がけています。