日本とシンガポールで仕事をしたい
3カ月が過ぎる頃、日本に進出していたイギリスの銀行から誘われる。99年、シンガポールにいる妻を連れて日本に戻る。ITの仕事に関わっていたが、2000年に買収された。その後は、アメリカに本社を構え、日本に進出していたウェブのコンサルティング会社に移る。ただ、転職を繰り返す中で無職になったり、ハローワークに通ったことは1度もないという。
「世界的に有名な、5~6社の人材登録会社に登録すると、話が次々と来るんです。40代前半まではね。英語力とITのレベルには、自信がありました。妻とは毎日、英語で話します。スキルを上げるために、時間もお金も使ってきました。ITが浸透する、という世界的なトレンドにも乗ったのでしょうね。年収はジャンジャンと上がり、この頃は1本(1000万円)を軽く超えていましたよ」
その後、日本の大手広告代理店と大手メーカーの共同出資の会社に移る。英語とITのスキルを高く評価し、より高い賃金を払ってくれるならば、迷うことなく、新たな会社に移る。これが、阿久津さんのキャリア形成の1つの信条だ。
「こうした生き方は、本来、日本の企業社会でもっと浸透すべきだと思います。得意のスキルで会社と関わらないと、やりがいも感じないでしょう。生産性も上がらない。中高年で失業し、生きていけないのは、市場で通用するスキルを持ち合わせていないからですよ」
2006年、アメリカのヘルスケア販売の日本法人に、さらに08年、世界展開するソフト開発の日本支社に移る。2011年、46歳のときに辞めて、その後はひとりでシステムコンサルタントをする。自宅のある横浜と、クライアントがいる都内を週に何度も往復する日々だ。
忙しい合間をみつけ、妻と子どもと一緒に海外に行く。最近は、シンガポールを訪ねた。いずれは、シンガポールでITに関連する仕事をしたいと願っている。その視察も兼ねているという。
「妻はいつかは、国に帰りたいんでしょう。私も、日本とシンガポールの双方で仕事をして、往復するような日々になればいいな、と思っています。
この20数年、外資系企業を渡り歩きましたが、いずれの職場でも、学歴は話題になりませんでした。学歴で採用や配転、昇格などを判断するなんて。それは、スキルなどで競い合うことができていないからでしょう。そんなことをしていると、会社は倒産するし、日本という国が成り立たなくなると思いますね」