アルバイトから契約社員、そして正社員に

「まさか、主任にしていただけるなんて……。私が社内でいちばんびっくりしているんじゃないか、と思います。10年ほど前に入社した頃は、アルバイトでしたから。その後、契約社員になり、そして正社員に。正社員なんて、雲の上の存在だったのに、今度は主任に。こんな展開になるとは、想像もしていなかったのです」

広島のラジオ・テレビ兼営局である中国放送(RCC)のグループ会社RCCフロンティア(従業員数50人)の制作営業部に勤務するディレクターの板倉由布子さん(31歳)が話す。

RCCフロンティアの制作営業部に勤務するディレクターの板倉由布子さん。

現在は、流行や時事ネタに敏感な人たちを中心に人気のある番組「週末ナチュラリスト」や、音楽番組「マツダミュージックドライブ」などの制作にメインディレクターとして関わる。一方で、最近は、会社のマネジメントを少しずつ覚えようとしている。学生の新卒の採用試験にも面接官として加わるようになった。

「採用に関わると、ほかの面接官たちが、学歴よりもその人の適性などをよくみていることを知ることができます。私が高校生の頃、壁にぶつかっていたことは、たいしたことがなかったんだなと今になってわかるのです」

板倉さんは、2つの高校に籍を置いた。それを「負の学歴」と説明する。2000年に地元の県立高校に入学したが、3年生の秋に辞めた。卒業を目前にしていた。

「この高校を卒業はしたくない、と思ったのです。勉強も楽しかったし、友人たちとは仲が良かったので、みんなは驚いていました。私は、あの校風にどうしてもなじめなかったのです。進学校で、とにかくいい大学に行くように、という教えが徹底していました。私は、大学で何をしたいのかがあいまいななか、大学に進むことには抵抗感があったのです。学校に行くことにしだいに苦痛を感じるようになり、昼頃に登校する日もありました。

ラジオ制作の現場で働くようになってから、10代向けの音楽番組「秘密の音園」をつくっていた時期がありますが、私なりにその世代の心がわかるつもりなのです。高校の頃は、ずいぶんと悩みましたから。高校を辞めたことを、一時期は“負の学歴”と思っていたくらいです。負の学歴にずっと縛られていたんですが、解放してくれたのはラジオの仕事でした」