批判をどう受け止めるべきか
【齊藤】自分の欠点を指摘されると、大した欠点じゃないのに欠点だと思い込んでしまう。ネガティブなものほど信用しやすいという、おかしなところがあります。ポジティブなものはあまり信用しない。「高城さんのこと好きです」というのは本当かと疑り深く受け取るのですが、周りから「アイツ、高城さんのこと嫌いみたいだよ」と言われたら、まず信用してしまいます。
【高城】なるほど。
【齊藤】我々の心の中で、プロスペクト理論ではないですが、利益と損失だと損失のほうがえらく大きく占めることと同じです。随分損な心理構造ですね。褒められたほう方を信用して、けなされたほう方は信用しなければいいのに。どうしてこんな性格のほう方が生き残ったのかというのは、心理学の問題ですが、危険を察知するっていうことなんでしょう。そうなったら、本当に友達とそれを笑い飛ばす、話題にして笑い飛ばすというふうなことも一つの手かなと思います。
【高城】そうですね。社内ゴシップでも、結構そういうケースがあります。ゴシップは有名税みたいなものであって、「よくあるね」というように軽く流しておくほうが精神衛生上いいですね。皆が自分を批判しているということに敏感に反応する人は、ゴシップを流す方からすると楽しい。だから知らない人の悪口ほどつまらないものっはないってよくいわれていて。
【齊藤】確かにそうですね。
【高城】皆が批判していると言われたときに、それにおびえている人を見るとすごく愉快なんですよ、批判者は。でもそれに対して動じない人はつまらない。だからそういう意味で批判に対していかに鈍感に振る舞えるかが大事です。特に仕事では、自分の感情はさておき、どう振る舞うことが正しいかを意識しながら、まるで俳優のように演じることがすごく重要だと思います。
実はものすごく敏感で繊細な人だったとして、「俺、傷つきやすくて昨日寝られなかった」と言ってしまうと、よっしゃ、またゴシップを流すかと思われてしまう。「結構さ、厳しいこと書いてあったけどさ、まあまあこれはこれで勉強になったな。俺、鈍感だからあまり気にならない」と言われると、かえってつまらない。じゃあもういいやって思っちゃう。だから意図的に自分が鈍感であるように演じることは大切ですね。
【齊藤】ゴシップをゴシップとしなくする、ということですね。
【高城】たとえば実際に、従業員が20名ぐらいの会社で、22ちゃんねるみたいなところに、その会社の批判が出ていたことがあります。明らかにこの記述は社内の人間が書き込んだものだろうという内容だった。私は社長に、「これは絶対に鈍感に振る舞ったほう方がいい」と言ったけど、社長はすごく気の小さい人で、「犯人はお前か」と慌ててしまった。その結果、名前を変えてどんどん書き込みが増えていく。社長はもう寝られなくなって、「うちの社員はみんな敵だ」と言ったり。もう本当に愉快犯がいっぱい出てきてしまう。