【田原】具体的にどんな会社だったのですか。
【吉田】ドリコムという会社で、当時はブログを運営していました。社員は約10人で、エンジニアばかり。そのころ私は、何とか自分の価値を伝えようと、恥ずかしながら自分で「営業の達人」と書いた名刺をつくって配っていたんです。ある会で知り合ったドリコムの内藤裕紀社長に名刺を渡したら、「ちょうど営業の達人を探していた」と声をかけてくれまして。それで、会って2回目で転職することになりました。
【田原】そのドリコムも辞めて、2007年に起業します。何かきっかけがあったんですか。
【吉田】06年に会社が株式公開したのです。最終的にはナンバーツーになったんですが、その会社を上場させたことで、次は自分で器をつくってみようと考えたわけです。
【田原】何をやるのか決めていたの?
【吉田】最初はコンサルティングやホームページの制作など、頼まれたことを何でもやっていました。3年間やってとりあえず黒字にはなっていたんですが、自社で何か事業をつくっていたわけではなかった。それがよくなかったんでしょう。役員が愛想を尽かして、取引先を持って出ていきました。よく調べると、半年前から取引先と周到に打ち合わせをして準備していたことがわかりました。そのときに他の社員も辞めてしまい、私は一人ぼっちになったんです。
【田原】仲間やお客さんを失って、よく心が折れませんでしたね。
【吉田】10年の年末、マンションのオフィスで一人、「もう36歳だけど、どこか雇ってくれるかな」と悩んでいるときに、呼び鈴が鳴りました。出てみると、ある上場企業からのお歳暮でした。このお歳暮が本当に心に染みて、自分は人に「ありがとう」と言われたくて働いてきたんだと初めて気づきました。