というわけで、女性が正論を主張し始めたら、周囲の人間がとるべき態度はただ1つ。「気がすむまで主張させる」ことだ。面倒くさいが、どこかでエネルギーを吐き出させておかないと、いずれ憤懣が爆発してしまう。「なるほど、それはもっともだね」と同調してさえおけば、何も行動する必要はない。万が一、後から「あれはどうなっていますか」と追及されたらどうするかという問題はあるが、そんなときは、のらりくらりと逃げればいい。もっともそこまで女性が持論に固執する心配はまずない。自分の主張の正しさが認められればそれで満足だからだ。
もっとはっきり言うと、女性は別に討論をしたいわけではなく、ただ言いたいだけ。自分が正しいと思う主張をすることが快感なのであって、主張が認められてそれが現実になることは別に快感ではない。大半の女性が「じゃあ、あなたに任せるから、責任もってやってみてよ」と言われたら、おそらく何もできないはずだ。
だが女性の正論を黙って聞くことほど、男性にとって苦しいことはない。まったく興味のないことなら聞き流すこともできるが、興味のあることや専門分野について非現実的な理想論をぶたれると、ついつい論破したくなってしまう。男性ホルモンの一種であるテストステロンは闘争本能を高めるため、相手を言い負かすことが男性にとっての快感だからだ。
ところが、論破しようとする行為にはまったく意味がない。なにしろ女性が口にするのは、100%正しい、まさに“正論”。理屈では勝ち目がないのだ。男が唯一できるのは、何も反論せずに気が済むまでしゃべらせて、「そうだね、そうだね」と聞いてあげることだけ。これは男として一番辛い状況だが、歯を食いしばってでも傾聴するしかない。
そもそも男と女はまったく別の生き物。わかりあうことなど所詮無理なのだ。むしろこんなに違うのに、なんとかやっていけるのが男と女のすばらしさだと思うしかないだろう。
米山公啓(よねやま・きみひろ)
1952年、山梨県生まれ。聖マリアンナ医科大学助教授を98年に退職した後、本格的な著作活動を開始。著書に『脳が若返る30の方法』『もの忘れを90%防ぐ法』など多数。