「ネジを巻く」のに必要だった高校・浪人時代
受験勉強の方は一向に振るわず、数学、化学、物理といった理系科目は比較的良かったものの、英語、国語といった文系科目は苦手で、3浪目になって予備校に通っていた時にも、総合では偏差値が50に達していませんでした。それでも、「医学部に入れない」と不安になったことは一度もなく、「絶対にツモれる」と信じていました。“ツモる”とは麻雀用語で、牌の中から上がりの牌を持ってくることです。3浪となった頃には、父の体調が悪化したこともあり、やっとエンジンがかかって日本大学医学部に合格できました。医学部だからこそだとは思いますが、当時は2浪、3浪は珍しくなく、入学してみると5浪以上の人もいました。
そうはいっても、我が家は両親が医者でもなく、それほど裕福な家庭ではありませんでした。3浪した上に国公立大学よりもはるかに学費が高い私大の医学部に入って、親にかなりの負担をかけたのは申し訳なく思います。でも、だからこそ、早く手術の腕を磨いて一人前になるにはどうしたらいいのか医学生の頃から考えていましたし、高校・浪人時代は、「ネジを巻く」のに必要な時間だったのではないかと感じています。私の場合、あのままストレートで国公立大の医学部に入学していたら、全く挫折を知らず、人の痛みの分からない医師になっていたかもしれません。
私の息子や娘を含めて、今の若者たちは「ネジを巻く」時間がなく、いつも忙しくしているように見えます。親や学校の先生は、現役で大学へ行かせたいし子供に苦労させたくない、できるだけ近道をさせたいと考えがちですが、社会人になって挫折やトラブルを経験した時、勉強ばかりしてネジを巻く時間がなかった人は立ち直れないことがあります。ビジネスの世界も同じかもしれませんが、医療界では受験勉強が得意で論文がうまく書ける人が患者さんの治療面で医師として結果を出せるとは限らないのです。
特に、私のような外科医には、知識だけではなく手先の器用さも必要です。子供の頃、プラモデル作りに熱中したことも手術の技術に役立っています。プラモデル作りでは、部品をカッターやニッパーで一つ一つ丁寧にはがさないと上手く仕上がりません。それが子供にはなかなか難しいのですが、私は、小さい頃から部品を一つ一つ切り取るところから集中してプラモデル作りに取り組んでいました。患者さんとの会話もギャンブル、スキー、人より長い受験勉強で社会性を身に着けてきたことが役立っていると感じています。学生時代もそうでしたが、今でも、医学書に限らず多様なジャンルの本を読むようにしています。医学部の入試では、私大を中心にコミュニケーション力が問われるようになってきているものの、医師の中には、世間話もできない人がいるのは偏差値偏重教育の弊害ではないでしょうか。