なぜ役人組織は政治化しがちなのか

実際に、明治20年に改定された官吏服務紀律では、第2条に、「官吏は其の職務に就き、本属長官の命令を遵守すべし。但し、其の命令に対し、意見を述べることを得」という規程が見られる。この改定では、異論を述べてもよいということが条文として示されている。

この規程は組織的な混乱を生み出す可能性がある。それを嫌うのは軍隊である。明治になって近代的な軍隊が整備されるにつれ、上司の命令は絶対であるという方向で武士道が変質したと笠谷氏は言う。しかし、官吏の服務規程を読むと、少なくとも文官の間には、明治の半ばごろまで、部下の異論が大切だという考え方が残っていたようである。

部下の異論の積極的な側面に注目していたのは、戦後の日本企業である。部下に異論を出させることによって改善ができるということに気付いたのである。部下に異論を言えといっても、異論を表明するには勇気がいる。日本の企業組織は、異論を表明しやすいような仕掛けをつくっていった。

1つの仕掛けは、提案制度あるいは職場の小集団活動である。自由に意見を表明する場をつくることによって、異論をくみ上げていったのである。それによって組織は新しい知恵を取り入れることができるのである。この意味での組織学習は、異論をきっかけにして起こるのである。この場合でも、混乱を避けるため、提案は、職務と並行して行われるようにするという工夫がなされている。

異論を表明する機会を与えられた側にも効用がある。物事をより大きな視点から考える機会を与えられ、現場の人々のプライドを高めることができるというメリットである。

異論をくみ上げるためのもう1つの仕掛けは、人事の集権化である。上司から人事権(評価権、報奨付与権、配属決定権)を取り上げて、人事部に集中したのである。上司から人事権を取り上げることによって、部下は上司に異論をさしはさむことができる。異論を表明することにリスクが小さくなるからである。人々があまり気付いていないが、これは人事部の重要な機能の1つである。

集権的な人事部の制度は、組織の中で下の意見をくみ上げることを可能にするための重要な制度である。この制度は、企業組織の内部での不祥事の検知の役割をも演じている。かつての都市銀行では、人事部がコンプライアンスの重要な機能を果たしていた。人事部は、部下の異論を吸い上げることによって、不祥事をまだ小さな段階で見つけ出し、人の異動を通じてその種を取り除くことができるのである。起こってから摘発したのでは遅すぎる。

しかし、この人事部による予後が行き届いていないところがある。1つは役員レベル、もう1つは子会社、関連会社。日本企業の不祥事は、このいずれかで起こることが圧倒的に多いのである。

部下の異論は、組織にとって重要な機能を果たしている。これを嫌って異論を表明する人を左遷してしまうと、組織は大切なものを失ってしまう可能性がある。政治化しがちな組織では、異論のリスクが大きく、異論は抑圧されてしまう。異論がもたらすマイナスよりも、異論を抑圧することからくるマイナスのほうが大きくなる。政治化しがちな組織の最も深刻な欠点だといえるかもしれない。役人組織の様々な問題が指摘されている。たしかに役人の組織は、正常な機能を妨げる様々な条件が存在している。その1つの理由として、役人の異論に真剣に耳を傾けようとしない政治の問題もあるのではないか。