忘れたり間違ったりすることこそ意味がある

【池谷】何かいい例はないかな……(しばし、パソコンの中を探す)。じゃあ、ここでちょっと実験をしましょう。このディスプレイに、おいしそうな単語が並んでいるじゃないですか。これを何秒間かを見てもらって、しばらくしてから全部言えますか?

【岩波】……言えないです。

【池谷】それはなぜ?

【岩波】ええと……単語がたくさんあるからですかね。

【池谷】そう、岩波さんはできない、でもチンパンジーなら覚えられる。もちろん文字は読めないけれど、彼らが認識できる図形にしておけば覚えられます。でもね、ヒトがすごいのは、「全部言ってください」と聞くと思い出せないけれど、選択問題にすると一瞬にして選べるところ。このように、きっかけがあると思い出せるのもすごい能力ですが、ヒトには、もう1つすごいところがあるのです。 ちょっとやってみましょうか。では、問題。「チョコレート」「砂糖」「甘い」、この3つのうち、さっきの画面に入っていなかった単語はどれでしょう?

【岩波】どれも入っていた気がします。

【池谷】ちなみに、正解は「甘い」。僕らからすると、チョコレートとか砂糖とか、出てきた単語は全部甘いもの関係だったから、「甘い」という単語があったと感じるのは自然なこと。言ってみれば、「甘い」という情報は僕らにとって役に立つというわけ。 でも、コンピューター的に「甘い」は、まったく正しくない。さっきの画面を見せて問題を出すとき、チョコとか砂糖といった単語を無視して、コンピューターに「甘い」と答えさせるプログラムをつくるのって、めちゃめちゃ難しいことなのです。

【岩波】コンピューターの中では、実際に「記憶」として一致してしまっているからですね。

【池谷】そうそう。たぶんサルでも難しいでしょうね。そこで、なんとなく「甘い」系だったなというふうに、あやふやに考えられるのが、ヒトのすごいところ。記憶の本質って、何か単語を覚えたいと思ったときに、その単語だけに意味があるのじゃなくて、そこに含まれている「世界観」にこそ意味があるのですね。そして、それこそが、岩波さんの言葉でいうところの「チェイン」ですよね。

【岩波】池谷先生のご著書の中にも、そもそも人間は忘れたり間違ったりするものだ、という話がありましたよね。正確に記憶して忘れないのが優れた脳だという認識は改めるべきだ、と。

【池谷】ええ。そうじゃないと、さっきの写真の話のように、融通が利かなくなってしまいますから。 常に変化する環境の中で生きていくためには、そういう柔軟さ、臨機応変さが求められるし、あいまいだからこそ、新しい場面への応用性が高まる。正確に記憶することよりも、記憶をどのように活用するかのほうがずっと大切なことですから。

【岩波】そう考えると、人間らしく考えること、たとえば、AI(人工知能)をつくるなんていうのは、すごく難しいことなんでしょうね。