「付き人ではない。芸人の鞄を持ってはいけない」

情の交わし合いという点では、吉野氏は芸人とのコミュニケーションでも「情」を大切にしているという。芸人やタレントという「人」が最大の商品となるエンターテインメントの世界では、ビジネスライクに、ドライに、という通常のビジネスの考え方だけではやっていけないのだ。

「相手の事情や言い分、こちらの立場や言い分も分かり合ったうえで、お互いのために何ができるのかを考えるのが理想的な『情の交わし合い』。甘やかす、なれ合いになるというのとは違うんです」(吉野氏)

マネージャーが芸人の懐に飛び込んでしまっては、何かあったとき共倒れにもなりかねない。だから、目に見えない人間関係の「線」の引き方も非常に難しいと思うのだが、吉野氏は語る。

「僕らが若い頃は、先輩たちから『付き人とマネージャーは違う。芸人の鞄を持ってはいけないし、“師匠”と呼ぶのもいけない。尊敬するのはいいけれど、マネージメントする立場なのを忘れてはいけない』と言われてきました。でも、僕なら加えて『もっと接近戦をしなさい』と指導しますね。一線を引きつつも、悩みを聞いて、自分の悩みを話して、さっきもいった『情の交わし合い』です。気心の知れたところでいいものを一緒に作っていくような、“いい間合い”の関係になってほしいと思っています」(吉野氏)

芸人の世界は一般のビジネスとは環境が異なるが、吉野氏のいうマネージャーと芸人との微妙な距離感や間合いは、ある意味、理想的な「上司と部下」のそれといえるかもしれない。

笑福亭仁鶴さんや桂文枝さんとは、今でもサシで飲むほどの間柄だという吉野氏。芸人やタレント、クライアントとも、長い時間をかけて情を交わし合い、信頼関係を構築してきたからこそ、今の立場があるのだろう。

「笑いをビジネスにしたいという思いを真摯に追求してきた結果、今があるんだと思っています。どれもこれも、後から思えば……という話で、当時はそんな大仰なことは考えず、がむしゃらにやってきただけなんですけど。今でもお笑いは大好きで、唯一の趣味みたいなもんです。仕事に詰まると劇場に行くこともありますよ。僕の姿を見つけた芸人たちは、舞台の上できっと緊張してるでしょうね」(吉野氏)

吉野伊佐男
吉本興業株式会社代表取締役会長。1942年大阪府生まれ。関西大学を卒業後、65年に吉本興業入社。総務部、制作部を経て、営業部CM企画課長に。87年に広報室長、94年にセールスプロモーション部チーフプロデューサー、2001年に取締役、そして05年に代表取締役社長となり、09年4月より現職。
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