処世術[7]上から無茶苦茶な指令
電気機器関連の商社に勤務するZ氏。業績は好調だったが、ワンマン社長がある日突然、「これから太陽電池モジュールの製造販売を始める」と宣言、その担当を任されることになった。聞けば倒産した中国の太陽電池メーカーを工場ごと買い取ったという。しかし、もともと商社なので社内に製造のノウハウなどなく、主な販売ルートも、まったく土地勘のない中国奥地。普通にやっていたら大赤字は確実で、会社自体が傾きかねない。任されたZ氏は、いったいどうすればいいのか……。
そんな場合、官兵衛なら「無茶であっても指令は指令。やらなければならない」と考えるでしょう。無茶だから断るとか、どうせ無理なのだから手を抜くということはしない人間です。
社長命令をどのように実行するか、損害が不可避であれば、それをどのように最小化するか。会社にとって最善の策を真剣に考え、命じた社長ともよく協議したと思います。
秀吉が最晩年に行った文禄・慶長の役、世に言う朝鮮出兵は、今に至るもたいへん評判の悪い戦いです。これには官兵衛も翻弄されました。しかし官兵衛は、出兵そのものを批判するとか、そこで働くことをサボタージュすることはなく、自らも二度ほど朝鮮半島へ渡っています。
しかし参加したことで、思わぬ収穫がありました。慶長の役の総大将であった小早川秀秋と官兵衛の間に信頼関係が生まれたことです。これが後の関ヶ原の戦いで、黒田家による秀秋の調略成功につながり、徳川家康の東軍の勝利をもたらすのです。
小早川秀秋は秀吉の正室ねねの甥で、秀吉の数少ない身内として重用されましたが、本人はあまり優秀ではなかったようです。それが関ヶ原の戦いで、最初は西軍に属しながら、戦い半ばで裏切るという大胆な行動を取ったのは、官兵衛を信頼し、官兵衛の描いた戦略に従ったからだと考えられます。
一見うまみのない仕事でも、誠心誠意やり遂げれば、長期的には何かしら得るものがある。官兵衛ならこうアドバイスするのではないでしょうか。
福永雅文(ふくなが・まさふみ)
1963年、広島県呉市生まれ。関西大卒。戦国マーケティング代表取締役。著書に『黒田官兵衛に学ぶ経営戦略の奥義“戦わずして勝つ!”』『世界一わかりやすいランチェスター戦略の授業』など。