ただ、ひと口に「参謀」と言っても、その職掌は多岐にわたる。例えば巨人では、長嶋茂雄さんが現役を引退して監督に就任した75年には関根潤三さん、藤田元司監督に交代した81年には牧野さん、最近でも原辰徳監督が復帰した2006年に近藤昭仁さんと、監督より年上のヘッドコーチがサポートするケースがある。生え抜きのスター選手を監督に据える場合、球団フロントが真っ先に考えるのは「失敗させたくない」ということだ。そこで監督の相談相手というか、何でも話せるパートナーが必要になる。
また、星野監督は中日、阪神時代に島野育夫さんというコーチを重用した。星野さんは投手出身だが、戦術、特に攻撃の作戦を組み立てていくには野手出身者の視点も不可欠である。まさに作戦参謀だ。加えて、感情を表に出してチームを牽引するタイプの星野さんには、自身とコーチ陣、選手の間に入ってくれるパイプ役も必要だった。そして、中日で8年間に5回の日本シリーズ進出を成し遂げた落合博満は、投手出身の森繁和ヘッドコーチに投手起用のすべての判断を委ねるなど、役割分担というユニークな形で安定感ある戦いを実現した。
私が選手時代に最も長く(8年間)仕えた西本幸雄監督は、時には愛のムチで選手を奮起させるなど、自分自身ですべてをやり抜く昔ながらの指導者だった。そんな西本監督の下には坂本文次郎さんというコーチがいた。郷里が同じ和歌山ということもあり、現役時代から6歳上の西本さんに可愛がられていたという坂本さんは、常に西本監督の考えを先回りして動いた。内野手にノックをしているときでも、選手の動きがよくないと西本さんの機嫌は悪くなる。そうすると、「全員がしっかりやるまで終われないぞ」と檄を飛ばすなど、西本さんが雷を落とさなくてもいいように仕向けてくれた。
近鉄が優勝を争うような戦力になった頃には、西本監督は三塁ベースコーチを務めていた仰木彬さんに全幅の信頼を寄せていた。ベンチからのサインを選手に伝達するという重責に加え、走者を本塁へ突入させるか、それとも三塁で止めておくか。その判断は勝敗に直結するものであり、強いチームには優秀な三塁ベースコーチが必ずいるというほど、試合を進めていくうえでは参謀役となる。西本監督が「日本一の三塁ベースコーチ」と仰木さんを評しているのを、選手時代の私も何度か耳にした。こうしてプロ野球界における参謀役の歴史、また選手時代の私の経験を振り返ると、名参謀と呼ばれた人は、野球に対して並々ならぬ情熱を持ち、監督の最大の理解者だということがわかると思う。