企業買収の交渉も、報酬に関する交渉も、中古車をめぐる交渉も、交渉では誰かが最初の数字を出す必要がある。それはあなたであるべきか、相手の出方を見るべきなのか。調査によると意外な真実が判明した。
こちらから口火を切るべきか否かという問題はネゴシエーターを悩ませる。不確実さが問題をさらに複雑にする。相手の実際の交渉ポジションに関する信頼できる情報がない場合、妥当と見なす提案と、交渉の席から立ち去りかねない提案を見きわめることができない。おまけに、相手が交渉優位に立とうとして、はったりの情報を出してくることもありえないことではない。
専門家のなかには相手が口火を切るのを待つべきだと言う人もいるが、多くの心理調査が示唆するところでは、ファースト・オファーをするネゴシエーターのほうが概して有利な結果を得る。
アンカーの劇的な効果
人間の判断についての研究によると、ある提案への評価は、交渉に関連のあるなんらかの数字が入ってくると、その数字に強く影響される。これらの数値は、人間の判断をその数値のほうに引き寄せることから「アンカー(錨)」と呼ばれている。曖昧さや不確実さが大きい状況では、ファースト・オファーは強いアンカー効果を持ち、交渉終了までずっと強い吸引力を発揮する。
専門家ならアンカー効果を免れるだろうと、一般に思われているかもしれない。研究者のグレッグ・ノースクラフトとマーガレット・ニールは、この説を検証するため、複数の不動産業者に1軒の住宅を調べさせ、その鑑定評価額と購入価格を推定させた。2人の研究者はこの住宅の表示価格を操作して、一部の不動産業者には高いアンカーを、残りの不動産業者には低いアンカーを与えた。業者の出した額はすべて表示価格の影響を受けていたが、彼らは表示価格を判断に組み入れたことは認めようとせず、自分の出した額を正当化するように、その物件の特徴を並べ立てた。
ドイツのヴュルツブルク大学心理学研究所のトマス・ムスワイラーらが行った調査でも、同様の結果が出ている。ムスワイラーらは複数の協力者に顧客役を頼んで、何カ所もの修理が必要な1台の中古車をドイツの整備士たちのところに持ち込んでもらった。協力者は、その車の価値についての自分の意見を述べたのち、整備士に「いくらで売れるか」と尋ねた。整備士の半分は顧客役から「この車は2800マルク前後で売れると思う」と告げられ、残りの半分は、「この車は5000マルク前後で売れると思う」と、高いアンカーを与えられた。高いアンカーを与えられた整備士のほうが、その車の価値を1000マルク高く査定した。