減少する若年労働力人口、増える人件費、閉まる店舗……アベノミクスによって売り上げは上がったものの、どこにもいないアルバイト。外食産業にとって死活的な問題をどう乗り越えるべきか。

「去年ぐらいからどんどん人手が足りなくなるのを実感した」

そう語るのは東京都内の牛丼チェーン「すき家」で8年間働いた青年だ。彼は2014年1月にバイトを辞めた。彼が働き始めた06年の秋、店舗によっては抱えるバイトが多く、思うように働けない場合もあったという。仕事に慣れてくると近隣の店にもヘルプとして出向くようになり、多くの店で夜勤を経験した。

「静かな住宅街だと、夜中に店に来るお客さんも少なかった。そういう店であっても初めのうちは複数の店員が配置されていたんですけど、いつの間にか夜勤は1人で入ることが当たり前になっていましたね。僕は22時から翌朝の9時まで働くことが多かったけど、すき家はよく強盗被害に遭っていたから怖かったし、話をする相手もいないから寂しかったな」

いわゆるワンオペ(ワン・オペレーション)と呼ばれる、店舗を1人だけで回さなければいけない状態だ。一バイトにすぎない彼も異変に気付く。状況はさらに悪化していく。

「特に希望を出していないのにシフトに入れられるようになりました。最初のうちは稼げるからいいかなと思っていたんですけど、それがどんどんひどくなっていったんです。例えば、本来なら夜勤が終わるはずの時間になっても次のバイトが来ないんです。おかしいなと思って数店舗を統括するエリアマネジャーに電話しました。そしたら一言、『やってくれ』と言われた。よくよくシフト表を見ると、僕のあとが空欄になっていた」

なぜ自分がこんな目に遭うのかはわからない。それでも出勤を要請されると、疲れた体にむち打って店に出た。バイトが終わって家に帰って眠る。目が覚めればすぐに出勤。よくよくカレンダーを見れば、1カ月で休みがたったの1日しかない。

「最悪の思い出は大晦日から元日までぶっ通しで働いたことかな。大晦日の18時に働き始めて、最終的に店を出たのは1月1日の15時。このときほど労務を管理しているエリアマネジャーを呪ったことはないですよ。管理できてないじゃないかって。すき家の席には店員を呼ぶベルがあります。僕みたいに無理な働き方をしていた友達は勤務中に一瞬意識がなくなって、あの音を聞いて飛び起きたことがあるらしいです」

そんな状態で正常な業務が遂行できるのだろうか。

「もちろんマニュアルはありますから、それに従おうと最初のうちは思っていました。でもマニュアルどおりにやっていたら、仕事が回らないケースがあるのです。自己流のまま新人を教育してしまうと、味も盛り付けもサービスもばらばらになりがちです」

そしてついには体を壊した。このまま働き続ければ恐ろしいことになると思い、退職。いまだに次の仕事に就けずにいる。

「すき家に残っている友達もいます。彼らがむちゃをして体調を崩さないかだけが気がかりです。僕が辞めた直後に始まった牛すき鍋が話題になりました。あれは仕込みが本当に大変らしい。友人たちも牛すき鍋定食だけは勘弁してほしいと音を上げていました」