「史上最低の日本シリーズ」を制したが……
金田は5年後に巨人に移籍。前人未到の400勝を達成し、1973年にロッテの監督に就任。2年目にパ・リーグの覇権を握った。
巨人V9翌年の戦国時代に勝ち名乗りを上げ、与那嶺要監督率いる中日と日本一の座を争ったが、両軍合わせ、エラーが16個。“史上最低の日本シリーズ”と呼ばれ、今日に語り継がれている。
金田ロッテの勝因は、中日のリリーフエース、星野仙一を攻略したことに尽きる。
第1戦は4対5でサヨナラ負けを喫したもの、9回表に星野に痛打を浴びせ、1点をもぎ取り、それが第2戦につながった。
7回を終え、3対5と敗色濃厚だった第2戦だが、8回から登板した星野に、7番・有藤道世(三塁手)がレフトへソロホームラン。熱くなった星野に、代打・土肥健二がセンター前ヒット。つづく代打・江島巧は死球で出塁。1番・弘田澄男(中堅手)がライト前ヒットを放ち、5対5の同点。星野をノックアウトした。後続の投手も打ち込み、8対5で逆転勝利。ロッテは大一番に弱い星野に救われたのである。
第2戦の金田らしい采配は、6回一死二、三塁のピンチで、右腕の成重春生をリリーフに起用したこと。成重はこの年0勝。プロ入りしてから3年間で1勝しかしていないピッチャー。一か八かのギャンブル采配だったが、ピンチの芽を摘み、7回も0点に抑え、8回の逆転劇につながった。
ロッテは王手をかけた第6戦でも、2対2で迎えた10回表、リリーフした星野を攻め、一死三塁から5番・弘田が鮮やかに左中間を破り、金田は日本一の監督になった。
「来年は、長嶋巨人と日本一を争うのがワシの夢や」
意気軒昂な金田だったが、二度とパ・リーグの覇権を握れず、長嶋巨人との対決は画餅に帰した。
1011試合 471勝468敗72引き分け 勝率5割0分2厘
(文中敬称略)※毎週日曜更新。次回、古葉竹識監督