しかし、ここからが肝心なのだが、小野二郎さんは、肝心の「寿司」の味については、徹底的に追究した。まだ先があるに違いないと研究した。その、余人の追随を許さない探究心が、小野二郎さんを世界一の寿司職人にした。
たとえば、マグロ。世間では見栄えのいい、いかにも新鮮、というものが好まれるけれども、本当に美味しいマグロは、もっと渋く、奥行きがあるものだという。
アナゴをいかに、舌の上でとろけるようにふっくらと炊くか。白身はどれくらい熟成させるか。素人には想像できないほどの創意工夫と探究の結果、「すきやばし次郎」の寿司ができあがった。
そんな小野二郎さんの生き方には、心からの尊敬の念を抱く。人生の道というものはどこから入っても無限の奥行きがあるものだと感じる。
日本人にとってうれしいのは、「すきやばし次郎」が世界に認められた、その経緯だろう。カウンターを中心とした店が、ミシュランの三つ星に認定されたというのは、1つの画期的ニュースだった。
オバマ大統領と安倍晋三首相の会食の舞台となったときも、「店の外に共用のトイレ」という店の設いに注目する報道があった。
寿司は江戸時代においては、屋台で供されたいわば「ファストフード」。大げさで豪華な店内の装飾など、探究に必要はない。そのような簡素なアプローチが世界に認められたことは、1つの「啓示」ではなかったか。
グローバル化と言っても、やたらとあたふたする必要はない。自分に与えられた課題を、誠実に、しかし止むことなく探究し続ければよい。毎日カウンターに立って寿司を握り続けてきた小野二郎さんは、偉大なる模範である。
(写真=時事通信フォト)