年商5000万円の薬局ビジネス
国境をやすやすと越え、起業に挑む。その典型が飯田直樹氏(26歳)だ。タイはおろか、海外を訪れた経験が一度もなかったにもかかわらず、大学卒業後、いきなりタイに渡り、バンコク市内で薬局を開き、さらには病院まで開設しようとしている大胆不敵な若き和僑は言う。
「普通に就活をして一応内定をもらったんですが、先輩から誘われた薬の輸入代行事業を立ち上げるために、11年にタイに来ました。事業には発展性があるとにらんでいたので、不安はまったくなかったですね。最初はホテル暮らしを続けながら、飛び込みで品揃えのいい薬局に営業をかけ、準備を進めました」
国内企業への就職とタイでの起業。飯田氏にとって2つは同等の選択肢だ。判断基準は面白そうか、ポテンシャルがありそうか。秤にかけて躊躇なく後者を採った飯田氏は、ダイエット薬やサプリメント、発毛剤など、日本ではなかなか入手できない、もしくは高額な健康関連商品をネットで紹介し、注文が入ると契約した薬局から調達して、日本に発送するビジネスを開始した。在庫リスクはゼロ。モノを言うのは行動力だ。
最初は1日5万円がせいぜいだった売り上げは日を追うごとに伸び、現在は月商200万円。26歳の若さからすればこれだけでも十分な成功だが、飯田氏は次なる1歩を踏み出した。12年に「ブレズアジア」を設立。タイ人の薬剤師を雇い、日本人観光客が多いバンコクのアソーク地区でブレズ薬局を開業した。
「このエリアと決めたら、飛び込んではオーナーさんを紹介してもらいました。いま入っているビルの家賃は月約30万円。近くの薬局によく仕入れに出かけていたので、売り上げの見込みも立てられました。業績は順調ですね。オープンから9カ月ほどで単月黒字化できた。13年には日本人駐在員家族が多く住む一帯にソイ39店を開きましたが、客数は2店合わせて1日に130人。年商は4000万円を超え、今年は5000万円に届くかな。14年中には内科のクリニックも開きます。いずれは介護領域にも進出します。夢は、薬局も含めて生まれてから死ぬまでのトータルなサポートを行う医療全般のサービス。ほかの国でもビジネスを立ち上げたいですね。自分としては30歳くらいをイメージしています」
若さゆえの怖いもの知らずと言えなくもない。だが、飯田氏の仕事ぶりは緻密かつ堅実だ。ほぼ毎日薬局の店頭に立ち、客の健康状態や症状を丁寧に聞き、仕事の合間には家庭教師をつけてタイ語を学び、薬の勉強にも余念がない。
「店では一番年下なので、率先して何でもやっています。薬の知識もまだ少ないし、タイ語も流暢ではないので、基本、なめられてますからね。僕は従業員のパシリみたいなもの(笑)。とにかくタイ語がもっと使えるようにならないと。何より、タイ語の書類がわかるようになりたいんですよ。これからの事業には絶対必要な能力です。人に頼むと高くつく。無駄なお金は使いたくないですからね」
「パシリ」を自認する冷めた目を持つ飯田氏は、現地の人々を雇用する難しさをよく知っている。かといって距離を縮める努力も放棄してはいない。現実を冷静に見つめたうえで次の一手を模索する現実主義は成功する和僑の共通項といっていい。日本にはあるが、この国にはない、マーケットの「欠落」を見据える目と、実現可能な方法を追い求める粘り強さも成功する和僑に共通している。