不登校だった高校生がなぜ市長を目指したのか

【塩田】なぜ生まれ故郷の市長に。

【樋渡】僕は高校生のとき、不登校でした。たくさんの人がいる場所にいるのは、肉体的にも精神的にも無理だった。

2年のときに高校で記念講演会があり、会場が広い体育館だったから、いいかなと思って聴きにいった。講師だったのが隣町の佐賀県西松浦郡西有田町(現有田町)の藤寛町長です。この人がすごくかっこよかった。時事通信を辞めて町長になり、もう60歳を過ぎていたけど、話が抜群に面白い。演壇から転げ落ちるくらいに話をする。西有田町は棚田が多いので、棚田ウォーキングとか、あるいは車椅子マラソンとか、こんなに面白いんだぜと言う。田舎にいて、初めてかっこいい大人を見ました。

この人の職業は何かなと思った。「首長(くびちょう)」と言ったのが「組長」と聞こえた。「質問、何かない」と言われたから、手を挙げて「組長って何ですか」と聞いたら、みんなが僕のことを笑うわけです。「友達もいないし、集団行動とか協調性は何もないけど、その仕事につけるでしょうか」と聞いたら、藤町長が「そういうやつだからできるんだ。一匹狼だからできるんだぞ」とおっしゃった。そこで初めて、自分が寄ってすがるところはこれだ、とわかった。いつか首長になりたいと思いました。

【塩田】高校を出て東大に進み、卒業後、中央省庁の官僚となり、総務庁に入りました。なぜこのコースを選択したのですか。

【樋渡】武雄市長になるのが目的で、全部、そこから逆算して考えたコースです。本当は60歳くらいでなろうと思っていました。ところが、無投票で市長にするから帰ってこいと言われた。無投票ならいいなと思い、帰ってきたら選挙があった(笑)。そして、36歳で市長になりました。

私が入ったのは旧総務庁です。行政改革をやりたいと思った。田原総一朗さん(評論家)が書いた『日本の官僚』という本で総務庁の話を読んだ。行政の世界の文法を学ぶには総務庁が一番いい。たとえば農水省だと、農水省の文法だけですが、行政全般を広く浅く学べると思った。首長になるための勉強という意味で、完全な打算です。

【塩田】お父さんはどんな仕事を。

【樋渡】父も母も県庁の職員で、わが家は兼業農家。僕は3人兄弟の長男です。いつか帰ってこなければ、という気持ちがありましたが、こんなに早く帰ってくるとは思っていなかった。市長はそんなに長くできないなと思っていますが、いくつかやらなければならないことがあるので、それは黙々とやっていきたいと考えています。