4億人──。日本発のスマートフォンアプリを使うユーザー数だ。今や台湾、タイ、インドネシア、スペインなど、世界に広がっている。支持されたきっかけは、文字では伝わりにくい様々な感情をイラスト化したスタンプにある。日本を代表するITサービスへ成長したLINEは、いかに誕生したのか。
森川亮氏

【田原】森川さんは最初、日本テレビにいらっしゃったと聞きました。そこでは、いったい何を?

【森川】コンピュータのシステムの仕事をしていました。最初は財務システムの担当だったので、辞めたくて仕方がなかったんです。でも、半年後には報道のデジタル化の仕事を手伝うように。当時はニュース原稿が手書きの時代でしたが、それをデータベースにためたり、プロンプターにデジタルで出す仕組みなどをつくっていました。

【田原】その後、ソニーに転職された。テレビ局からメーカーなら、おそらく給料は落ちますね。どうして?

【森川】テレビ局に約10年いて、後半はインターネットや衛星放送、あとは海外展開などの新規事業をやらせてもらいました。でも、やっぱりテレビ局は地上波がメーンだった。一方、ソニーは端末をつくり、コンテンツもやり、さらに当時は出井(伸之)さん中心にそれらをつなげた新しいネットワークのビジネスをつくろうとしていました。そこは僕がやってきたキャリアに近いので、やってみたいなと。

【田原】でも、結局はソニーも辞めましたね。ソニーじゃ満足できなかった?

【森川】通信のカンパニーに入って、トヨタさん、東急さんとブロードバンドサービスのジョイントベンチャーをやったのですが、その会社がうまくいき始めると、本社から退職間際のおじさんが入ってきました。大企業の関連会社は、やっぱりそういうものから逃れられないんですよね。それで、何のしがらみもない真っさらな会社で働きたいと思いまして。