所得格差の元凶は「役職」よりも「年功」
日本のサラリーマンが豊かになれないという意味でむしろ問題なのは、「役職格差」よりも根強く残っている「年功格差」である。生産性の低い、会社の役に立っていない社員でも、年功に従って全員に高い給料が支払われている(図参照)。これを職務内容と成果に応じた給与システムにすれば、給与原資に余裕ができて、働き盛りのサラリーマンの給料をもっと上げることができる。
その年功賃金制度にしても、日本では事業会社の「規模による格差」がある。たとえば、1000人以上の大企業なら初任給は20万円程度。男性の場合、放っておいても50歳になると給料は55万円ぐらいになる。これが社員数100人程度の中小企業になると40万円前後。さらに社員数が10分の1以下の小企業ないし零細企業ではぐっと下がる。
また入社時にはほとんどないものの、年功に従って「男女格差」も生じてくるし、「地域格差」もある。大都市近郊のメーカーと地方のメーカーとでは、給与格差は倍以上ある。
さらに日本のサラリーンマン社会に特徴的なのは「業種による格差」だ。たとえばテレビや新聞・出版などのメディア関連の平均給与所得は、約1600万円。対して化学やゴムなどの業界の平均は400万円台。同じ日本で同じ大学を出ても、20年ほど経ってみると、給料は3~4倍以上も違ってくるのである。
こんな現象は、よその国では起こりえない。なぜなら、そんなにいい業種があれば皆がそれを目指すからだ。給料の安い業界は、人を引き留めておけなくなるから、給料を上げざるをえない。労働力の流動性が高い海外では、給料が3倍も4倍も違えば、命がけで職を替えるのだ。
これは業種を超えた労働流動性というより、給料の安い業界から高い業界に移るというメンタリティーが、そもそも日本人にはないからだと私は睨んでいる。
給料の安い会社に入っても、5年で馴染み、10年もいればすっかり居心地がよくなり、「年収1000万円みたいな世界はきっと厳しいに違いない。慣れた業界でゆっくりやったほうが楽だろう」と思い込んでしまう。
だが実際のところは、テレビ業界ひとつとっても、下請けの制作会社に仕事を丸投げするだけで厳しくも何ともない。むしろ仕事の厳しさと給与は逆比例している、という皮肉な現象にもなっている。給料の高い業種では、安い下請け外注を使って自分たちはあまり働かない、という悪しき慣習が跋扈するからである。
結局、サラリーマンは業種に関する情報を正しく得ていないのである。新卒の就職活動で大卒の初任給は調べても、20年先の給料を調べることはしない。ろくに就職活動もしないで、卒論を指導してくれた大学教授のコネや紹介で就職先を決める場合も多い。
私の出身学部は理工学部の応用化学科だが、成績のよかった同期の友人たちは、一様に教授のご推奨で当時花形産業であった繊維会社や化学メーカーに就職した。しかし40歳になったときに開かれた同窓会の頃には、すっかり構造不況業種に成り果て、不況対策室長といった肩書ばかりだった。逆に羽振りがよかったのは、学生時代の成績が悪くて商社やマスコミに行った連中である。
先生や親のアドバイスも就職情報誌に掲げられたバラ色のようなプレゼンも、結局は偏った情報にすぎなかった。そうした情報だけで会社選びをしてしまうと、ボウリングでいえばガーターレーンにはまってしまうような会社人生を送ることだってありうるのだ。