会社に入ったばかりの頃は、ロウアーないしロウアーミドルの給料でも、定期的な昇給・昇進を重ねて収入と地位が向上し、最後にはアッパーミドルでサラリーマンのキャリアを終える。こうした平均的なライフサイクルというのは、もはや過去のものとなり、「自分は一生ロウアーミドルで終わるかもしれない」と感じている人が増えているのだ。
かつてアメリカで、クライスラー社長のアイアコッカ氏と新入社員の収入格差が1000倍あった時代に、日本では大会社の社長と新入社員の収入差は8倍しかなかった。そうした格差のない社会、均質な社会が日本のよさであり、経済成長を支える原動力だといわれてきた。
しかし中流意識の崩壊によって、それまでは中流意識に覆われてあまり目立たなかった企業社会の“格差”が浮き上がってきた。数年前に投資顧問会社のサラリーマンが推定年収100億円で長者番付の1位になったトピックスは、「格差のない社会」が幻想でしかないことを象徴している。
バンカメ(バンク・オブ・アメリカ)に買収されたメリルリンチのCEOの退職慰労金が100億円を超えていたことを米議会が問題にしたように、あるいは今、怒りの旋風が巻き上がっているAIGの総計150億円を超えるボーナスなど、アメリカではトップマネジメントとヒラの収入格差は途方もなく拡大している。それには及ばないにしても、実力主義や成果主義の導入が進んだ日本でも、役職による収入格差は着実に広がってきた。
日本の労働分配率は70.6%で、スウェーデンなど北欧諸国と並び先進国の中でもトップレベルにある(図参照)。某政党は経営者が搾取しているというが、労働分配率から見れば社員の間で濃淡をつけるしかない。これ以上労働者の給料を全体的に上げることはまず無理、と心得なくてはならない。