もし医療関係の保険で入っておくものがあるとすれば「がん保険」でしょうか。私のような年齢でがんになる確率は相対的に低いのでしょうが、他の病気に比べてがんは、費用が高額化、長期化しやすく、経済的に困窮する可能性があるからです。
病気をしたことで「かぎりある人生」という言葉の意味を実感した私は、人生の目的を「家族3人で楽しく暮らすことが私にとっての幸せ」と考えました。
それには楽しく暮らせる家族の家が必要でした。それまでの私はどちらかといえば賃貸派だったのです。持ち家は家族の人数やライフスタイルがある程度確定し、自己資金の準備ができてから購入すべきです。というのも「結婚したから」「子どもができたから」など、人生の節目などで購入するのは気分的に気持ちがいいだけです。子どもの人数・成長によっては家が広すぎたり、手狭になったりしてしまいます。金額も大きいですから失敗したとき大変です。
私の場合、病気になってこれからの人生を見つめ直したときに、気持ちが固まったのだと思います。いま家を買おう、と決意しました。
私とお金との関係を改めて振り返ってみると、原点は大学時代の仕送りにあるような気がします。当時わが家は、私の「私立大学入学」「一人暮らし」、兄の「結婚」、家の「改築」と支出が重なり、いま考えれば家計は非常に大変だったことでしょう。そのためか、父は私に「仕送りを一銭たりともムダにするな」と厳命しました。その言いつけを守った私は、家計簿をつけ、バイトを掛け持ちし、稼いだお金を学生時代から運用しました。貧しい学生時だったとは思いませんが、そのときの「お金をムダに使えない」という感覚は、その後の私の人生でも生き続けています。
教育費に糸目をつけず、何でも与えてきた家の子どもほど、親のすねをかじることに抵抗がなくなり、ニートになる確率が上がるそうです。子どもを精神的、経済的に独立させ、社会に貢献できる人間に育てるのが子育てのゴールです。そう考えれば、少しお金で苦労させる経験は、子どものためにも必要なものだと考えています。