天皇の戦争責任に行きついてしまう

「先の戦争における本当の加害者は誰なのか」という議論は、本来、日本人自らがしていなければいけないことだ。憲法にあるように「二度と戦争はしない」と本気で誓うのであれば、これは絶対に不可欠な作業である。しかしこの問題を突き詰めていくと、どうしても天皇の戦争責任に行きついてしまう。「天皇の問題」があったがゆえに、駐留軍も東京裁判も、我々日本人もそこを曖昧なままにしてきた。

駐留軍は明治憲法を踏襲して冒頭に天皇のチャプターを置いた憲法を日本に創り与え、東京裁判では、インド人法学者、ラダ・ビノード・パール判事の温情もあって天皇の戦争責任が問われることはなかった。日本人は発言権のない敗戦国という立場にある意味で安住して、駐留軍が書いた憲法を戴き、東京裁判で裁いてもらうだけで、自ら戦争責任を明確にする作業(「総括」)をしてこなかったのだ。

同じ敗戦国であるドイツやイタリアは、ナチス独裁=ヒトラー、あるいはファシスト独裁=ムッソリーニという総括を行った。拙速な東京裁判と違い、ニュルンベルク裁判ではドイツとイタリアの戦争責任が徹底的に問い詰められた。ヒトラーを完膚なきまでに否定し、戦犯を完璧に定義して、戦後何年経とうと地球の裏まで追いかけていく“仕掛け”をつくった。

加害者と被害者をきっちり分けるシビアな作業を、ドイツ国民も(そしてもちろん特にエスニッククレンジングの被害に遭ったユダヤ人たちも)一緒になって血のにじむような努力で行ったのだ。だからこそドイツは過去とハッキリ訣別して、ゼロベースで国づくりができた。

しかし日本においては、「軍部独裁」という抽象名詞のままで、「軍部独裁の軍部とは誰のことなのか」を突き詰める作業をしてこなかった。旧日本陸軍なのか、天皇なのか、あるいは日本人全員か、とさまざまな考えや解釈が存在する。それを田中・周会談では日中友好条約締結を急ぐあまり便宜的に「A級戦犯」で合意してしまったのだ。

実は靖国問題の本質はそこにある。当事国として戦争責任をどう考えているか、海外に向かって明確に説明できる日本人がいない。また説明したくない。靖国問題は、そうした日本の戦後処理の曖昧さに起因している。