靖国神社は、英訳では「戦争神社」である

靖国問題の本質は何か。A級戦犯の合祀が問題であって、A級戦犯を分祀すればいいという考え方もあれば、一宗教法人である靖国神社に政治家などが公式参拝するのは、政教分離の原則になじまないため、国営化すべしという議論もある。しかしA級戦犯を分祀したり、国営化すれば靖国問題が収まるかといえば、そんな単純は話ではないだろう。そもそも靖国神社の成り立ちからして、英霊を鎮め、平和や不戦の誓いを立てるに相応しい「聖地」とはいえない。

創建は明治2(1869)年。靖国神社は幕末の志士や国事に殉じた軍人などの戦没者を「英霊」として祀ってきたが、英訳本では「Yasukuni War Shrine」と表記されてきた。

要するに「戦争神社」である。西欧列強に追い付け追い越せの時代に、戦争に出征するときに「エイエイオー」と雄叫びを上げて勇気を奮い起こし、「国のために戦って散ったときには英霊として帰ってこられるのだから安心して行ってこい」と兵士に決意を促す場所だったのだ。

どれだけお色直しをしても、日本帝国主義を象徴する「戦争神社」として創建されたオリジンは色濃く残っている。靖国神社に併設されている「遊就館」という施設をご存じだろうか。ゼロ戦や人間魚雷など戦争で使われた兵器や戦争関連の資料、遺物遺品がところ狭しと展示されている軍事博物館である。

過去の戦争における日本の正当性をアピールし、「もう一度戦争を行えば日本は負けない」と言わんばかりの展示の仕方は、左翼全盛の時代に育った世代にとっては、“異世界”に迷い込んだような感覚に襲われる。実際、戦後の左翼全盛期に追い詰められていた右翼は、この場所を“心の拠り所”にしていたわけで、遊就館のような施設を持ち合わせている靖国神社で平和や非戦の祈りを捧げるのは、あるいはそれを参拝の口実にしている安倍総理のレトリックは、論理矛盾していると言わざるをえない。