たくさん持つより、ちゃんと味わう
若い世代ほど、酒を「当たり前に飲むもの」ではなく、「自分で選ぶもの」として見始めている。
睡眠、運動、栄養、ロンジェビティ(健康寿命を延ばすライフスタイル)に関心が集まっているのも、同じ流れだと思う。ただ、僕にとって一番大きかったのは、統計や流行ではなく、翌朝の身体感覚だった。
一度この差をはっきり感じてしまうと、戻れなくなる。
たくさん飲む快楽より、翌朝まで続く快適さのほうが、僕にとっては価値が高くなった。
同じことを感じている人は少なくない。
日本有数のワイン愛好家としても知られる、GMOインターネットグループの熊谷正寿さんも、50歳を過ぎてから酒の量をコントロールするようになったとインタビューで語っている。
理由はシンプルで、アルコールを摂取すると心拍数が上がり、深い眠りに入れないからだ。
ワインが好きで20~30代はかなり飲んでいたのが、いまは月の半分は一切飲まないという。年齢を重ねて酒との付き合い方を選び直す――これは僕だけの感覚ではないのだと、あらためて思った。
そしてこれは、酒だけの話ではなかった。
食も、仕事も、人間関係も、お金の使い方も、同じことが起きている。
たくさん持つことより、ちゃんと味わえることのほうが大事になってきた。
何かを増やすより、一つひとつの密度を上げる。
ここから、僕の中で「引き算」の感覚が少しずつ変わっていった。
「足し算の生き方」は限界が来る
ここで言う引き算は、人生を小さくすることではない。余分なものを削いで、本当に大切なものにエネルギーを集め直すことだ。
前章では「版で動く」という話をした。完成してから始めるのではなく、動きながら修正していく。でも、闇雲に増やし続けていいわけではない。新しいことを始めるには、同時に何かを削ることも必要になる。動くためには、スペースがいる。
組み直しとは、何かを新しく足すことだけではなく、前半戦で増やしてきたものを、一度ロッカールームに持ち帰って、置き場所を見直すことでもある。
後半戦は、前半戦と同じ荷物を背負ったまま走る時間ではない。戦い方を変えるなら、まず荷物の置き方を変えたほうがいい。
振り返れば、20代も30代も、僕は足し算で生きてきた。
読む本も、出会う人も、訪れる国も、仕事量も、収入も。とにかく増やすことが豊かさだと信じていた。
実際、その戦略は正しかった。
20代・30代は、足し算が機能する時代だ。知識も経験も人脈も、あればあるほど選択肢が広がる。足し算が、成長の正しい方程式だった。
でも、ある時点で限界が来る。
予定が多すぎて、何一つ深く楽しめない。人間関係が広がりすぎて、本当に大切な人との時間が取れない。仕事を抱えすぎて、一つひとつの質が落ちる。
「せっかくだから」「もったいないから」「断りにくいから」。
そういう理由で積み上がったものが、気づけば人生の大半を占めている。本当にやりたいことのための時間が、どこにも残っていない。

