あえて「小室ファミリー」の逆を行く
これらの楽曲すべての作詞・作曲、プロデュースをしたのが伊秩弘将である。
1990年代当時、小室サウンドが一世を風靡していた。クラブカルチャーが全盛期を迎え、ユーロビートが巷に流れていた時代である。小室哲哉はそのトレンドをリードする存在であり、プロデュースしたTRF、globe、安室奈美恵、華原朋美ら小室ファミリーがヒット曲を連発。その基本は、コンピュータへの打ち込みによる電子音楽であった。
それに伊秩はあえて逆行した。
デビュー曲の方向性について、最初伊秩は迷っていた。だが4人のレッスンを見て、彼女たちからほとばしるスピリットに魅せられた。そしてそれに合った音楽として、ユーロビートとは違う、生バンドによるソウルミュージックをベースにした曲にすることに決める。それが「Body&Soul」だった(『Cocotame』2018年9月6日付け記事)。
歌詞でも、若い4人が発散するエネルギーを強調した。「Body&Soul 太陽浴びて Body&Soul 踊り出そうよ」というおなじみのサビのフレーズからは、さんさんと輝く太陽の下で弾ける4人の姿が思い浮かぶ。寛子と絵理子のボーカルをあえてハモリにせず、ユニゾンで力強さを強調したのも同じ意図から来たものだった(同記事)
最初は2人組の予定だった
そんなSPEEDの持つエネルギーは、全員が沖縄出身ということとも無関係ではないだろう。その4人が幼い頃からレッスンを積んだのが、沖縄アクターズスクール(以下、スクール)である。
スクール設立者はマキノ正幸。そこからマキノは多くの才能を世に送り出した。
たとえば、「その少女は、他の子どもたちとまったく違っていた。ふっと身体を揺らすだけで、もう違う」とマキノが天賦の才に驚嘆したのは安室奈美恵である。当時10歳だった。だがそれにもかかわらず、安室は難しいことを教えてもすぐその場でできてしまったという(マキノ正幸『才能』)。
スクールからは、ほかにもMAX、知念里奈、DA PUMP、さらに三浦大知と満島ひかりが所属していたFolderなど、多くの才能が発掘された。
そしてそのなかにSPEEDになる4人もいた。
実は最初、マキノは寛子と絵理子の2人組でデビューさせようとしていた。
寛子は4歳のときからスクールに通っていた。そのときから歌も踊りもメリハリがあり、群を抜く存在だった。幼いにもかかわらず腰が据わっていて、演技でも大成するのではないかとマキノは思っていた(同書)。
絵理子のほうは6歳のときにスクールに入ってきた。こちらも幼くしてすでに実力を認められる存在。コンテストやオーディションでは、後にMAXのメンバーになるミーナ(天久美奈子)といつも優勝を争っていた(同書)。

