世界を見据えた大きな目標を持つ

ロス検視局長時代-飛行機事故の現場にて

日本人としてアメリカで成功を収めた秘密はどこにあるのかと聞かれると、野口はまず「世界を見据えた大きな目標を持つ必要がある」と断言する。

彼は高校に入った時点で、「世界で活躍する法律を理解した医師」になることを決めていた。その背景にあったのが「父親の医療事故トラブル」という経験だった。

野口が13歳の時、耳鼻科を開業していた父親の患者が急死し、医療事故が疑われたことがあった。患者の遺族は父親を刑事告訴したが、野口の父親は解剖をして死因をはっきりさせるように当局に要求した。当時、解剖で死因を特定するケースはほとんどなかったが、例外的に解剖が行われ、その結果、父親の医療事故は冤罪だったことが明らかになった。そのすべてを野口少年は目の当たりにし、法律と医学が絡む法医学の道に進むことを心に決めた。

向かう先がない者には進むべき道は見えないし、今何をすべきかどうかも分からないのではないか――。野口はそう言い切る。

「行き先」を定めた野口は、決してぶれることがなかった。当時、日本でもアメリカでも法医学という分野は一般的にはほとんど知られていなかった。だがそんな時代にあって、日本医科大学に通う傍ら、夜は中央大学の法学部に通った。戦後の混乱期で、停電の夜には外の外套の下で教科書を読んだ。

そして実家のある横須賀に戻るたびに米海軍病院に通うようになり、医療の進んだアメリカに渡ることを決意する。しかもその頃には、彼はアメリカで「学ぶ」だけでなく、アメリカに「勝つ」という想いを抱くようになっていた。そして大学を出て日本でインターンを経験すると、迷わずアメリカに向かった。