もし余命1カ月になったら?
そう考えると、治療して治る病気なら、そのときの考え方しだいで僕も治療を受けるかもしれません。それに、今は元気だから「あれもイヤ、これもイヤ」と言えますが、実際に死を目前にしたら考えも変わるかもしれません。また、余命1カ月なのか、半年なのか、その治療をすることでどれくらい延命効果があるのかによっても、受けたい治療は変わってきます。
そこで、『死ぬまで生きる 穏やかな死に医療はいらない』(河出新書)にも書いたことですが、「元気な今だから思う、余命1カ月と言われたら受けたくない治療」をいくつか挙げてみようと思います。間違えてほしくないのは、このひとつひとつは、少しでも生き続けたいという人たちにとってはどれも大切な医療です。
僕の場合、治療を受けるか否かを判断する大きなポイントは「意識」です。意識がある限りは家族としゃべっていたいと思うし、治療を受けるかどうかの判断も自分でできます。決して正解ではありませんし、僕としても答えの出ないものもあります。そのあたりもできるだけ率直に話したつもりなので、参考にしていただければうれしいです。
代表的な延命治療を受けるか
・腎ろう
背中から腎臓に直接チューブを入れて尿を排出すること。がんの勢いが強くて尿管が圧迫され、尿管ステントが入れられないときに行うことが多く、チューブの先に尿を集める蓄尿バッグをつなげ、常にこれを携帯しなければならない。風呂にも入りにくく、仰向けに寝るのがつらい人もいる。
これは余命が半年延びて延命できたとしても、やりたくありません。いや、絶対にやりたくありません。しないでください。
・人工透析
治療内容は前述の通り。緊急の透析は動脈と静脈に太いカテーテルを入れて行うのでかなりの苦痛を伴う。
若ければやろうと思ったかもしれませんが、60歳を過ぎた今はやりません。
・胃ろう
おなかから胃に穴を開けて栄養を入れるチューブを造設すること。造設は簡単で、入れる時はつらいがその後の苦痛は少ない。
意識がなかったら、回復の可能性があってもやらないように家族に伝えておきます。意識があっても、やりません。

