新宿中村屋創業者を献身的に看病

病院での和は忙し過ぎて、子どもたちのことを考えている余裕もない。自分が担当する患者の看護をしながら、病棟の他の患者たちの状態も注視し、何かあれば看病婦に指示をだして即座に対処させる。

何事にも一切手を抜かない。また、生まれながらの世話好きな性格にくわえて、愛と奉仕を説くキリスト教の教えが仕事への熱量を増幅する。手を抜かないだけでなく、やらなくてもいい事までやって仕事を増やしてしまう。

この頃、和が担当した患者のなかに相馬愛蔵そうまあいぞうがいた。後に新宿中村屋の創業者となる男だが、当時はまだ東京専門学校(早稲田大学の前身)に学ぶ17歳の若者。下宿で疥癬かいせんに感染して入院した。疥癬はヒゼンダニの寄生によって発症する。ヒゼンダニは肉眼ではほとんど見えないほど小さく、気がつかないうちに皮膚内で大量増殖してしまう。感染した人は体中に赤い湿疹ができ、激しいかゆみに襲われて七転八倒する。

相馬愛蔵
大関和と親しかった実業家の相馬愛蔵(1870~1954年)、1910年代(写真=新宿中村屋公式サイト/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

硫黄を主成分とする軟膏なんこうを患部に塗るのが当時の治療法だが、この軟膏には硫黄特有の腐卵臭に似た強烈な悪臭がある。病院では疥癬患者への塗布は1日1回と決められていた。もっと小まめに薬を塗ったほうが治りも早いが、治療にあたる医師や看病婦は薬剤の発する悪臭を嫌って決められた回数以上の塗布をしようとはしない。しかし、和は1日も早く退院して復学したいという愛蔵の願いをかなえてやるために、朝昼晩と1日3回、悪臭に耐えながら小まめに薬を塗りつづけた。その効果によるものか、わずか1週間で全快して退院することができたという。

和の献身的な看護に愛蔵は感謝した。また、同じキリスト教信者として彼女の姿勢に尊敬の念を抱くようになり、生涯にわたって深く親交するようになる。晩年になってからの和は、彼の“恩返し”に助けられることも多かった。

キリスト教への深い信仰ゆえ…

仕事熱心過ぎてハードな日々がつづくなか、信仰は和の活力となりその心身を支えつづけた。この素晴らしい教えをもっと人々に知ってほしいと思う気持ちが強くなっている。良くも悪くも自分の感情に素直な彼女は、病院の中でも誰彼かまわず神の教えを説いてまわるようになった。

「大関は優秀で仕事熱心なのだが、病院内でキリスト教を伝道してまわるから困る」

そんな悪評が立ちはじめる。上層部からも度々注意されるようになり、和を気に入って可愛がっていた佐藤三吉教授もいまでは彼女を避けて距離を置いている。