「どちらでもない」は優柔不断ではない

世界は、2つに割れたがる。

右か左か。仕事か家庭か。強いか弱いか。正しいか間違っているか。意見が対立するとき、人はすぐに「あなたはどちら側か」を問う。そして、どちらかを選ばなければ、曖昧な人間だと思われる気がして、誰もが少し、急いで旗を持つ。

天秤
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でも、本当にそうだろうか。

例えば、「論理」と「感情」。ビジネスの場では論理が正しくて、感情は余計なものだと言われがちだ。でも、論理だけで動く人間はいないし、感情のない判断に人はついてこない。どちらかが優れているのではなく、どちらも、人間の思考の一部だ。

「強さ」と「弱さ」も同じかもしれない。強くあろうとするとき、人はしばしば弱さを隠す。でも、自分の弱さをちゃんと知っている人は、他人の弱さにも静かに気づける。それは、強さの別の顔だ。

二項対立は、思考を速くする。AかBかに整理すれば、判断が早い。でも、速さと引き換えに、こぼれ落ちるものがある。グラデーション、矛盾、どちらでもあること――そういう、割り切れないものの中に、案外、本質が宿っていたりする。

「どちらでもない」は、優柔不断ではない。2つの極の間に広がる広大な余白を、ちゃんと見ている、ということだ。

バランスではなく、ミックス

私は子育てと仕事の両立にも、この考え方を取り入れている。

「ワークライフバランス」ではなく、「ワークライフミックス」という考え方だ。

仕事と子育ては、決して相反するものではない。

仕事で培った思考力は、子どもの「なぜ?」に向き合う力になる。子育てで鍛えられた段取りや想像力は、チームを動かすときに静かに活きる。子どもと過ごす時間が、仕事で煮詰まった頭をほぐすこともある。混ざり合うことで、それぞれが豊かになる瞬間が、確かに存在する。

バランスではなく、ミックス。切り分けるのではなく、溶け合わせる。

それは、どちらかを諦めることでも、どちらも中途半端にすることでもない。仕事も子育ても、自分という1人の人間の中で起きていることとして、まるごと引き受ける、という生き方だ。

「どちらを優先するか」ではなく、「どう混ぜ合わせるか」を考え始めたとき、息苦しい2択は、少し遠くなる。