「人と違う」は欠点ではない
「みんなと同じ」でいることは、思いのほか疲れる。話を合わせ、好みを隠し、少しずつ自分を削りながら、その場に溶け込もうとする。そうやって手に入れた「普通」は、居心地がいいようで、どこか窮屈だ。
誰かと違うことは、ずっと「欠点」として扱われてきた。趣味が変わっている、感覚がズレている、考え方が独特すぎる。そう言われるたびに、人はそっとその部分を引っ込める。
でも、よく考えてみると、世界が動いた瞬間のほとんどは、「ズレた人」が起点になっていた。みんなが当たり前だと思っていたことに疑問を持った人。みんなが諦めていたことに、まだ可能性を見た人。その「ズレ」こそが、新しい視点であり、まだ誰も開けていない扉だった。
価値というのは、希少性に宿る。誰もが持っているものは、それ自体では際立たない。逆に言えば、あなたにしかない感覚、あなたにしか見えない景色、あなただけが持つ問いの立て方――それはそのまま、他の誰にも代替できないものだ。
「人と違う」は、怖れるべき欠点ではない。それは、静かに、しかし確かに、あなただけの輪郭を形づくっている。自分のズレを恥じなくていい。そのズレの中に、あなたにしか生み出せないものが、眠っている。
心にギャルを住まわせる
「ギャル」と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
派手なネイル、巻き髪、「マジ卍」みたいな言葉――そういうビジュアルのイメージが先に来る人も多いかもしれない。でも、ギャルの本質は、見た目ではないと思っている。
ギャルの一番すごいところは、メンタルのつくり方だ。
他人の目より、自分のテンション。正解より、ノリと直感。落ち込んでも「まあいっか!」と切り替える速さ。他人と比べてどうこうじゃなく、「私が楽しいかどうか」を判断軸にする、あのブレなさ。
それが、マインドギャルだ。
ファッションは関係ない。スーツを着ていても、地味めな服が好きでも、心の中にギャルを1人住まわせておくことはできる。例えば、ちょっと失敗したとき。普通ならぐるぐる引きずるところを、マインドギャルは「あー、やっちゃった! ま、次ね!」と処理する。
誰かの評価が気になりそうなとき。「でも私は私でよくない?」と、ふわっと着地する。
これは、能天気とは違う。自分なりにちゃんと考えた上で、それでも必要以上に引きずらない選択をしている、一種の生き方の技術だと思う。
真面目で、頑張りすぎて、疲れてしまう人ほど、マインドギャルが必要かもしれない。
たまに声をかけてくれる心の中の小さなギャルが、「ねえ、もうちょっと自分に甘くしていいんじゃない?」と、
――そんな存在を、心に1人住まわせておくのはどうだろう。
外見じゃなく、内側からギャルになる。それが、マインドギャルのすすめ。

