抱いていたコンプレックス
西部と私の共著『難局の思想』(角川oneテーマ21)所収の三島論で私が、「三島が好きな人というと、たとえば沢木耕太郎とか、猪瀬直樹とかが『三島、三島』というので、私はちょっと苦手な傾向があります」
と切り出すと、西部は、
「僕は、三島は嫌いっていうか、苦手なんですね。三島由紀夫を比較的好きな人がいまもまわりに多く、冗談で言えば不幸な人生ですけど(笑)、そういう人たちとはすごく気をつけて付き合っています。実は学生運動をやっていたときも、三島由紀夫を好きな運動家とか指導者が多かった。そういう人たちともずっと意見が合わないということもあって、なるべく小説も評論も読みたくないと思っていた。だから、いい読者ではなかった」
と述懐した。
いわゆる右翼を西部は単細胞な反左翼として遠ざけていたが、しかし、取り巻く人には三島好きが多かったのだろう。
三島は市ヶ谷の自衛隊のバルコニーに立って、
「人の命以上に尊いものはないのか」
と隊員をアジったが、徴兵検査の一件を知ると、そのコンプレックスから三島は派手派手しい愛国運動に奔ったのではないか、とさえ思えてくる。
戦争を経験しなかった三島
過酷な軍隊体験をした城山三郎は、
「戦争はすべてを失わせる。戦争で得たものは憲法だけだ」
と繰り返し語ったが、それを体験しなかった三島は憲法を批判し、自衛隊員に決起を呼びかけて無視され、自決した。
その三島を韓国の抵抗詩人、金芝河(キム・ジハ)は「アジュッカリ神風」(渋谷仙太郎訳)という詩で、次のように断罪した。
どうってこたあねぇよ
朝鮮野郎の血を吸って咲く菊の花さ
かっぱらっていった鉄の器を溶かして鍛えあげた日本刀さ
前掲の『難局の思想』で私は三島を「形式に生き、形式に死んだ男」と規定し、「惑溺からは逆に遠い人」と指摘した。遠かったのに自らも惑溺し、他の人をも惑溺に巻き込もうとしたのである。

