議会の空気はヒトラーに宥和的だったが

ハイエクがここで言っている「内心のおぼつかなさや迷い」というのが、まさにヒトラーが仕掛けた認知戦の成果でした。そして、今日の世界においても、このような「認知戦の仕掛け」によって世界に価値観の混乱と断絶を引き起こそうとしている国家元首は少なくありません。私たちは歴史に学ばなければなりません。

当時のイギリス国内において、ナチスドイツとの宥和を図るべきだという議論を主導していたのは、チャーチルと首相の座を争ったハリファックス卿でした。当時、ヒトラーは枢軸国であるイタリアを経由して、英国に対して宥和策を提案していました。このヒトラーの提案に対して、英国としてはこれを受け入れるか、あるいは突っぱねて開戦するかという、ギリギリの選択が迫られている状況だったのです。

外相であるハリファックス卿は宥和を主張します。ドイツとの宥和を勝ち取るその代償として、マルタ、ジブラルタル、スエズ運河などの資産をドイツに対して譲渡する、というのがハリファックス卿の落としどころでした。

チャーチルはハリファックス卿のこの提案に対して激怒しますが、議会の「空気」は宥和に傾いており、流れを変えられそうにありません。

ロンドンのビッグベン
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世論をガラっと変えた一世一代の演説

この状況で議論を続けることは得策ではないことを悟ったチャーチルは流れを変えるため、議論が膠着状態に陥った午後5時の段階で2時間の休憩を入れ、7時に再開することを宣言します。そして会議を再開するにあたり、チャーチルは論理による説得を放棄し、その場にいる人々の魂を揺さぶるような一世一代の演説を打ちます。

私はこの数日、自分にとって、あの男(ヒトラー)と交渉し、宥和を勝ち取ることが私の政治家としての使命なのか、ということについて熟考してきた。しかし、いま妥協して小さな平和を勝ち取ることで、徹底して戦い抜いた場合よりも、良い世界が待っている、という考え方に、私はどうしても同意できない。

長い歴史をもつ私たちの国が育んできた自由主義の伝統と価値をもし投げ捨てるのであるとすれば、それは安易な妥協によってではなく、喉に血を詰まらせて地に倒れ伏すまで、徹底的に敵と戦い抜いた後であるべきではないだろうか。

この演説のあと、閣議を再開すると、すでに議論は終わっていました。宥和に流れかけていた空気は一転して「開戦への覚悟」へと転換し、ハリファックス卿が議論を降りたからです。