現代人がイメージする「不惑」とはだいぶ違う
「或」は、武器である「戈(ほこ)」と「囗(集落)」、「一(境界)」から成る漢字です。この「或」に「土」を付けると「域」になり、「囗」で囲むと国の旧字である「國」という文字になります。どちらも「境界線で区切られた区域」の意味です。すなわち「或」には「線を引いて、ある場所を区切る」という意味があります。ここから、四十にして「惑わず」は「或らず」で、「区切らないこと」「限定しないこと」という意味だったのではないかと考えました。
人は40歳くらいになると、「自分はこういう人間だ」と限定してしまいがちです。
「自分にはこれだけの力しかない」「これは自分のすべきことではない」「自分の人生はこの程度だろう」などと考えがちになる。孔子は、そうした態度や考え方を「よくないよ、40歳ごろにはそういう気持ちになりがちだから気をつけなさい」と言っているのです。もしかしたら、40歳こそ可能性を広げられる年齢だよ、と言ってくれているのかもしれない。現代の私たちがイメージしている「不惑」とは、だいぶ違ったものに見えてきますね。
ちなみに孔子の時代の40歳は、現代の60歳くらいと考えてもいいかもしれません。
60歳こそ、新たな自分を探す時期です。こうして、2000年前の古典が、より自分のものへと近づきます(さらに詳しく知りたい方は『すごい論語』(ミシマ社)に書きましたので手に取ってみてください)。
読み継がれてきた「何か」がある
古典を読むときに、もっとも大事なことは「古典としてこれだけ長い間読み継がれてきたということは、必ず何かがある」ということを心に留めておくことです。自分には理解できないと感じられたとしたら、それは自分に問題があるかもしれないと自問してみることです。私は高校生のときはロックをやっていて、学生時代はジャズで学費や生活費を稼いでいました。漢文は好きでしたが『源氏物語』などの日本の古典の面白さはまったくわかりませんでした。新約・旧約の『聖書』も高校時代の同級生のせいで大嫌いでした。しかし、今は大好きです。
理解できない、つまらない、意味がないと思ったら、本書で前述した「タウマゼイン」(※)に出会えるまで調べ尽くしてみる。原語も学んで読んでみる。それによって、素晴らしい人生の宝が浮かび上がってくるはずです。
※「タウマゼイン」古代ギリシャ語で、プラトンが「哲学の唯一の始まり」だと発した言葉。しばしば「驚き」と訳されるが、「敬意」の意味も含まれている。

