ともかく、国の行く末、われわれの生活に関わる重大な問題に関するどれにも相反する意見がある。これほど言論が左右にブレている時代はないような気がします。だから人々はメディアが流す言説に右往左往してしまう。明日が見えない状況に置かれると、人は不安になるものです。それも原因の1つなんでしょう、自殺者が年間3万人以上という状態が、もう14年も続いています。
そんな未曾有の事態に直面すると、日本は急激に崩壊に向かっているんじゃないか、世界も確実に病んでいる、ということを肌で感じているはずなんです。しかし、われわれはなすすべもなく、傍観してしまっているという気がする。なぜかというと、現実を直視しないで、知らないふり、感じていないふりでもしないと、不安で耐えられないからでしょう。
念仏に見出した庶民の希望
――人心が動揺し、希望の光を見出せない混乱した12世紀から13世紀に、続々と登場するのが、傑出した宗教家であった。法然、栄西、親鸞、明恵、道元、日蓮など。日本の宗教界で代表的な12人のうち6人が、わずか1世紀の間に一斉に現れている。
法然や親鸞以前の奈良、平安期の仏教界というのは、僧侶はみな、いまでいえば国家公務員のような立場でした。仏教の目的も国家鎮護と、宮廷と天皇の平安を祈るというもので、そのために、祭祀やお勤めをした。ですから、一般大衆に直接仏の教えを語ったりすることは法律で禁じられていたのです。
そうした旧仏教は「顕密仏教」と呼ばれて、中心は南都北嶺、つまり奈良と比叡山でした。その比叡山の最高学府から中途退学して野に下り、仏教界が見向きもしなかった一般庶民に向けて語りかけたのが、法然だったのです。
法然といえば、次代の比叡山を引っ張っていくと目されていたエリート。教養と学問があって、大秀才です。でも、どんなに知識があろうと、たいした意味はない、苦しんでいる人々のためになることが大切だということを悟るわけです。親鸞もそんな法然を信じて野に下る。当時は僧侶が野に下れば「聖」と呼ばれ、世間的には、下手すると乞食坊主扱いされることもある非公認の坊主になる。そんな境遇に自らを置いたのです。